「番外、とあるところの二人の話」





 
 人と人外の垣根は高い。
 御伽噺にはよくある話じゃないか。

 まあ、知っていたからってどうにかできる話じゃない。
 ぶつかるまでは、壁の存在だって気付かないものなんだ。

 終わりは突然やってくる。







 幽霊が出る。

 そんな噂話を聞いたその日に、僕は事実を確かめに行った。
 退魔師の血を引く家柄だから。というのは理由じゃない。

 退魔師なんて勝手のもので、お金になれば人外を容赦なく駆逐したりする。
 話せば分かるのも多いのに、それを行わない。
 正直に言って、退魔師という職が嫌いだった。

 家柄のせいで、多少はその素質もある、らしい。
 けど、その仕事は継ぐ気は無いし、必要も無い。
 長男だけど、家は退魔師家業の分家でしかない。
宗家さえ無事なら、分家から無理に退魔師を輩出する事も無いから。

父こそ退魔師だけど、宗家ほど非道じゃ無い。
そこは、尊敬してる。

そんな僕が幽霊を確認しに行くのは、退魔師の先回りをするため。
退魔なんてした事が無いし、する気も無い。
ある力は、助けるために使いたい。

というか、仲良くなるのに使いたい。


噂の場所は、お墓だった。
山中の神社にある、森に囲まれたうら寂しいお墓だ。
こんな場所なら、いなくても噂が尽きないんじゃないか。
でも、噂が立つ以上、何かしらあるんだと思う。

 
 どんな幽霊なのか?

 噂によると、墓石の隙間から人の声がぼそぼそ聞こえてくるらしい。
 曖昧な噂話だけど、知ってる人が結構いる。数が多いんだ。
 ぼそぼそ声に、『帰れ!』と叫ばれた人もいるらしい。


 行けば分かるかな。


 当然、夜まで待つ事にした。
 牛の刻とかが基本だし。昼間の証言は、今のところ無い。
 気長に待つことにする。
 一応、対魔師の分家。夜はうるさくないし。

 

 声は、牛の刻を待たなかった。
 八時くらいの、深夜と言うにはま浅い夜。

 意外なほど早く声が聞こえてきた。
 今まで物陰にいたけど、人らしい人がお墓に来たのは見ていない。
 この声が、幽霊のことかもしれない。

 しばらく、その声を聞くことにした。


「……く……たし……じか……やん……………」


 よく聞き取れない。確かに、ぼそぼそ声だな。
 仕方が無いから、少し近付いてみる。
 性格に聞き取ろうと、聞き耳を鋭く立てる。



「まったく、どいつもこいつも薄情だ。結構長い間やってるのに声の一つもかけない。景気が伸び悩んでるのかどうだか知らないけど、人情って言葉を忘れちゃあ伸び悩むだろ」



 ……なんか、予想に反して生き生きとした愚痴が聞こえてきた。
 声だけ聞いてれば、本当にただの愚痴。しかも幽霊とは思えない。
 愚痴はまだ続いてる。


「はあ、まったく。これじゃいつまでもできないよ。期限だってあるのに、急ぐこともできないなんて、やってられない。食べるものにも困る。残飯漁るのも……」

何でこれが幽霊だと思うかな?
 なんか、話しかけても良さそうな類かも。
 よし。

「もしもし」

 思い至って、すぐに声をかけてみた。
 
 その瞬間、声はぴたりとやみ。お墓は一気に静寂に包まれた。
 しんと静まり返った墓場は、僕の声だけを残響させる。
 この方が、お墓は怖いと思う。

 すぐに反応しなくなった声の持ち主を探そう。
 声の方を探り歩いてみる。

「帰れ!」

 すぐさま怒鳴り声が聞こえた。
 姿は見えない。この辺りが幽霊の所以かな。

「どこいるの?」

「か、帰れ!」

 叫ぶ声が少しかすれた。
 でも、今の声で大体の場所は分かった。その場所に近付いてみる。



 そこには、犬がいた。



 子犬、と言うには少し大きめの犬。
 見回してみたけど、他には何にもいない。

 それに、僕には分かる。
 人外というには曖昧な気配だけど、その曖昧さがおかしいと思える。

「君、だね」

 その犬を指差して言った。
 犬の顔が、驚きを形作る。

「た、退魔師か!」

 犬の顔が、器用にしゃべった。さっと後ずさる。
退魔師ていうのが分かるらしい。
まあ、予想通りの反応だ。

「違うよ」

 すぐに否定する。僕は退魔師じゃないし、なりたいわけでもない。

「じゃ、じゃあなんなんだよ」

「なんなんだよ? ……なんなんだろ?」

 そういや、僕ってなんなんだろ?
 退魔師じゃないし、霊媒師でもない。
 少し素質があるだけの、ただの人間。

 ただちょっと、人と人外の仲を取り持とうとしてる。

「仲人、かな?」

「仲人!? しかも疑問系で、なんだそれは!?」

 驚きも当然だ。言ってる僕にも意味が分からないし。
 まあ、疑いはおいおい解いていこう。
 そう思った矢先だった。

「関わってられるか!!」

 その犬は、一気に逃げ出した。
 墓石を器用に飛び跳ねて、すぐさま墓場から消え去ろうとしてる。
 
 僕はその動きを目で追う。
 とっさの事で僕は反応しきれず、届きもしない手を伸ばした。

 待って。
 と言おうとした。

 けど。


 が!
 ど!
 ごろごろ!
 ぐしゃ!


 声は間に合わず、墓石がものすごい音を立てて崩れた。
 
 飛び乗った墓石はぼろぼろだったので注意しようとしたけど、間に合わなかった。
 慌てて犬が落下したところまで駆け寄る。

「だ、大丈夫!?」


 犬は、眼を回してた。



 それから、しばらく時間がかかった。
 それはもう、牛の刻。
 こんなに遅くまで起きてて、学校に出てもすぐ寝ちゃうだろうな、と思うくらい夜が深い。
 高校生なら、これくらい起きてる事もあるけどね。

 ようやくその時に目を覚ました。

「あ、……ああ?」

 あやふやな声を出しながら、犬は眼を開けた。
起きぬけの声出すなんて、正体を隠すのが下手なのかな。

「あ、起きた」

 僕の声に反応したのか、犬はすぐさま飛び下がろうと足を蹴りだす。
 けど。

「痛!!」

 叶わず、体勢を崩して半端な体位で跳び落ちた。
 慌ててその体を落ちる前に拾う。

「無茶したら駄目だよ。足、怪我してるみたいだよ」

「お前のせいだ。退魔師め」

「だから、退魔師じゃないよ」

 それから退魔師じゃない事を説明した。
 一時間くらいかかった。

「お前、変なやつだな。人間はオレたちを嫌うんだろ?」

「そうかな? それって、誰かの刷り込みじゃない? 本当の事は自分で知って判断する事だと思うよ」

「やっぱり、変なやつだな」

 犬は、苦笑した。

「それはそうと、教えてくれないかな? 何でこんなところでぶつぶつ独り言を唱えていたのか」

「うるさい! どうでもいいことだろ!」

 ぷいっと、犬は顔を逸らした。
 怒ってるのか、気まずいのか、恥ずかしいのか。
声がちょっと上ずってたけど。

 と、その気まずさに拍車をかけるように。


 ぐーーーー。


 お腹が鳴った。



 犬の。




「腹、空いてるんだ?」

「うるさい! 今のは唸り声だ!」

「じゃあ、これをあげるよ」

「こっちの話聞けよ!」

 動物の腹の虫って言うのは初めて聞いたけど、かなりお腹が空いてそうだし。
 強がりみたいな声には余り耳を貸さないようにして、僕は持ってきていた夜食を差し出した。
 牛の刻まではいるつもりだったから、その備えくらいはしてた。手を付けなくて良かった。

「はい」

「…………、毒、入ってるんじゃないのか?」

 犬は僕を疑りにかかってる。
 退魔師でなくても、人間はあまり信用できないたちなのかな。

「じゃあ、毒見をすればいいんだね」

 僕は差し出した夜食の一つにかじりついた。
 それを犬の前で分かりやすく咀嚼してみせる。

 もしゃもしゃ。

「どう? 毒ないよ?」

「…………………それ一個じゃ、まだ分からないだろ」

 まだ疑ってる。
 仕方が無いから、納得してくれるまで毒見をした。

 ………。

 そして、最期の一個になった。
 パン。その半分をかじって、僕は動きを止めた。

 犬の方を、じっと見る。
 これ以上食べたら無くなるんだけど。

 犬は、人間臭く、はぁぁっと溜息を吐いた。

「もういいよ! 食べてやるよ!」

 なんだかふてくされた、やけっぱちみたいな言い草だった。
 それと同時に、もう一度お腹が唸りをあげた。
 今度の唸りは、犬そのものの唸りと言っても疑わなかったかな。それくらい獰猛だった。

 狼はぷいっと顔を逸らしながら叫んだ。

「勘違いするなよ! 信用したわけじゃないから! それまで食われたら、食いもん見せ付けられたみたいで癪だからだぞ!」

 思い切り言い訳をしてる。僕に、というよりも自分にかな。
 差し出したら、がっとかっさらってがつがつ食べ始めた。
 あっという間に完食だ。

「ったく。人間の施し受けちゃったよ」

「すごく腹空いてたんだね」

「お前、もっとちゃんと聞けよ!」

「足、大丈夫?」

「お前に心配される筋合いは無い!」

「また、食べ物を持ってこようか?」

「…………うるさい。余計な事するな」

 あ、揺らいでるみたいだ。
 目がどこか泳いでる。

「じゃあ、明日の戌の刻にでも持ってくるよ」

 だいたい午後八時くらいの事。
 幽霊が出るにしては早く、僕が動き回るにしたら遅くない時間かな。

「来るな! それは何かの嫌味か!?」

「違うよ。その時間が丁度いいと思っただけ。欲しくないの?」

「…………」

 ぷいっと、顔を逸らされた。
 でも、嫌なら嫌って言いそうな感じだし、いいんだよね。

「それじゃ、また明日来るね」

「来るなっつったろ!」

「君、名前は?」

「聞けよな!!」

「僕は、高崎霞住(たかさきかすみ)。君は?」

 少々強引に話していくと、犬はしぶしぶ答えた。
 
「…………名前はない。オオカミとでも呼べ」

 なんだか、そのままだった。
 本気とも冗談とも分からない。
 名前が無いのかもしれない。
 
 もっと良い名前があったら良いと思うけど

「名前、無いんだ。捨て犬?」

「狼つったろ! この馬鹿!!」

 かなり機嫌を悪くしたみたいだ。今のは僕が悪い。

「ごめん。明日、多めに何か持ってくるから」

「く、来るな、って。何度言えばいいんだよ」

 震えた声で、そっぽ向きながら文句を言う。
 やがて、仕方ないとばかりに深く溜息をつく。

「もういいよ。今日は帰れ。遅いぞ」

 確かに、遅すぎる。
 授業は曝睡決定かもね。

「ああ、それじゃね。バイバイ。足、気をつけてね」

 僕が手を振っても、犬……オオカミは反応を示してくれなかった。






「来るなっていったよな?」

「来るって、言ったよね」

 戌の刻、午後八時に始まった会話はその言葉からだった。

「はい、食べ物。昨日より多めに持ってきたよ」

「こっちの話し聞けよな!」

 怒った、呆れた声で抗議してくるけど、目が物欲しそうにしてるのは良く分かる。
 腹空いてるみたいだ。
 でも、表立っては不機嫌で通すらしく、そっぽを向かれた。

「はい」

 一個差し出す。
 けど、オオカミはそっぽを向いたままだ。

 オオカミって、名前が呼びづらい。

 僕は差し出したままの体勢で固まり。
 オオカミも、そっぽを向いたまま動こうとしない。

 そのまま、どれぐらいの時間が過ぎたか。


「……毒見しろ。それなら食ってやる」


ポツリと、オオカミが言った。
 僕はその提案に笑みと行動を持って答えた。


「足、大丈夫?」

「心配される筋合いは無い! それに、もう大丈夫だ!」

 一応、答えてくれた。
 まだ少し痛そうだけど。
 狼の顔でしかめっ面するもんだから、よく分かる。

「包帯、持ってきたよ」

「いるかよ! そんなもんでオレをどうしようって――痛!」

 叫びすぎて傷に障ったみたいだ。
 捻挫や骨折じゃないのは、専門知識の無い僕には救いかな。

「ほら、無理しちゃ駄目だよ」

「うるさい! て、お前! 勝手に包帯巻くな!」

「はいはい、消毒するよ」

「な! 痛痛痛痛痛!!!」

「ちょっと暴れないで! 痛! ゴメン、大人しく――痛!」


 そんな感じで一時間。
 治療と格闘を並列実践した結果。

「……オ、オレのせいじゃないからな!!」

 僕の体は生傷だらけになっていた。

「まあ、少し強引だったからね」

「ふん! わかってるならやるんじゃない!」

 ぷいっと顔を背けるオオカミの足には、ちゃんと包帯が巻かれてる。
 消毒もしっかりした。

「でも、後何日間かは様子見ないと」

「また来る気か!? 来るなっていってるだろ!」

「そうだよ」

「来る気だけ示してんじゃない!!」


 傷の容態が気になる僕と、頑なに拒むオオカミ。
 えんえんと論争した結果。


 オオカミは、はぁぁぁっと深い溜息をついた。


「分かったよ! 傷の手当てをさせてやる!」

「よかった。じゃあ食べ物も一緒に持ってくるよ」

「あ、と、……。そ、そんなの当然だ馬鹿! 傷見せてやる代わりだぞ!」

 かなりおかしな条件だけど、それでオオカミは納得してくれた。

 これで、少しは仲良くできるかな。


 やっぱり、仲良くできた方が嬉しいし。
 
ああ、名前で呼びたいな。




 それから、毎日。欠かすことなく通った。
 
 行ってもすぐに邪険に扱われる。
 でも、
口は変わらないけど、少しずつ打ち解けていけてる気がしてる。

こんなことしていても、何も言わない家。
違う。
退魔師である父は、分かってくれていた。
 宗家にも黙ってくれるらしい。

 ありがたいことだった。


 オオカミの怪我が治ってからも通い続けた。

「治ったからもう来るなよ!」

 そうは言われたけど、何となく通い続けた。
 僕が食べ物を持っていくおかげなのか、仕方ない仕方ないと言って相手をしてくれる。
 

 食べ物を持って通う毎日。
 毒見こそ毎日してるけど、雑談を出来るようになった。



「よくも毎日毎日来れるな? 暇なのか?」

「結構融通利くんだ、家は」

「この馬鹿! 答えがずれてる!」



「青春を満喫する年頃だろ? こんな事よりもほかにする事があるだろ!?」

「あるけど、楽しいよ。一緒に話すの」

「黙れ馬鹿! お前は同類とでも過ごせ!!」



そんな罵られっぱなしの毎日だった。
 不快じゃない、罵り言葉ばっかりだった。
 なにせ、オオカミはいつもそっぽ向く。
 恥ずかしいんだろうな。悪意が無いのが良く分かるから。

 そんなオオカミに、似合う名前は無いかな。




 毎日通った。
雨の日なんて気にしない。
 
 傘を差していけば、何故こんな日にも来るのか怒られた。
 お互い様だと思うけど。


 天気が悪くても、オオカミはいた。

 
 誰か人がいると、いなくなるまで待つ。
 それでからじゃないと、現れなかった。

「人に見られたら困るに決まってる! 考えろ馬鹿!」
 
 おかげで、お墓が込み合う盆の時期は苦労した。




 でも、時々思う。

 オオカミが人間だったら、友達になれたかな?
 こんな事、直接聞いたら怒られそうだけど。

 でも、それはそれで、楽しそうだな。
 それなら、名前で呼べるし。


 やっぱり、本人に言ったら怒られるだろうな。




「オレたちのどこが友達だ!? 人間だったらとか関係ないだろ!!」

 やっぱり怒られた。

 でも、顔はそっぽ向いてた。





 そんなある日のこと。

 いつものとおりにお墓に食べ物を持っていった。
 しかし、お墓には先客がいた。


 人だ。


 墓石の影、見られないように息を潜めながら先客を伺った。
 いなくなるまで、待たないと。


 その人物は、女の子だった。

 赤袴、巫女の衣装に身を包んだ女の子。
 髪は肩口で切り揃えていて、おかっぱの長い感じ。
目端はつり上がり気味で、凛とした。でも、どこか幻想的で儚いイメージが漂う女の子だった。


 可愛い、と、思った。


 罰当たりにも墓石に腰掛けたその女の子は、どこか、そわそわした感じだった。
 時折、辺りを見回しては落ち着き無く足をぶらぶらさせてる。


 人がいるときは、いなくなるまで待つ。
 何となく定まった決まりだった。


 だから、待った。


 女の子は、長いことそこにいた。
 やることの無い僕は、待つ間僕はずっとその女の子を観察していた。

 最初そわそわしていたその仕草は、時間が経つにつれて何だかイライラした感じになっていた。
 最後には、座っていた墓石から飛び下りて、墓石に蹴りを入れて帰っていった。


 変な子だった。


 とは言え、こんな時間までいたのも変。
 気配も、良く分からない感じだった。人か人外かも曖昧な。


 でも今は、オオカミだ。

 人がいなくなったから出てくるだろうと思って待った。

 待った。
 待った。

 で、夜が明けた。


 その日は、オオカミは来なかった。
 仕方ないから食べ物を置いて帰った。





「昨日は来なかったな、お前」

 今日は時間通りに来たオオカミだけど、いきなりそんなことを言われた。
 
「待ってたの?」

「ま、待ってなんか無い! でも、まあ、お前が待ちぼうけしてるのを考えると忍びないから仕方なく来るには来たんだぞ!」

「待ってたんだよね、それ」

「揚げ足取るな、馬鹿!」

 揚げ足にもなってないけど、あまり言わない方がいいかもしれない。
 でも、それにしたっておかしい。

「僕も昨日、ずっと待ってたんだけど」

「嘘吐くな! オレが帰るまで誰も来なかったぞ!」

「いたよ。女の子が。だから僕はずっと隠れてたんだよ」

 人がいたら、姿を現さないのがオオカミだ。
 だから待ったんだけど。
 僕が答えると、オオカミは押し黙った。

「どうしたの?」

「……それ、どんなやつだった?」

「どんな?」

 見てないのかな?
 昨日の女の子の特徴と、行動を思い出してみる。
 そして、端的に特徴を表す言葉で一言答えた。

「変な子」

「……な――」

「でも可愛い子だった」

「――〜〜……」

 オオカミは、何か言いたげだった言葉を飲み込んだみたいに押し黙った。
 がっと、顔を思い切り逸らした。

「どうし――」

「なんでもない! この馬鹿!」

 僕の言葉は遮られ、オオカミは走り去ってしまった。

 何かまずいこと言ったっけ?
 良く分からないけど、悪い事しちゃったかな。
 今日の分、渡してないのに。

 ふと傍らを見ると、昨日持ってきた分の包みがたたんで置いてあった。

「食べたんだ……」

 なんだか、少しだけほっとした。






 次の日。
 また、その女の子はいた。

 性懲りも無く、罰当たり全開で墓石に座ってる。
 
 でも、今日は前と比べて様子が違った。
 ぎらぎらと、釣り上がり気味の目を光らせて獲物を探してるようだった。
 
 人外、のもの、かな。
 悪い、やつ、かな。

 間違っても、宗家がいるとこには出ないでほしい。

 僕は退魔師じゃないからなんとも出来ないし、出来てもする気は無いけど。
 
 
でも、ここには、オオカミがくる。

 
 荒事にならなければいいと願った。
できるなら仲良くなりたいし。


 戌の刻。八時。
 女の子は動いた。

墓石のところにあった卒塔婆を軽々と引き抜き、それをいきなり投げた。

隠れていた僕に向かって。


とっさに身を転がして避けた。当たったらかなり痛そうだし。
避けたことで、女の子の目の前に姿を晒してしまう。
さっと身を起こして、警戒しながら女の子を見る。

女の子も、僕のことを見ていた。

獲物を見つけた。
って感じかな。


と言うには、悪戯っぽい目だったけど。


「やっぱりか、この馬鹿。また待ちぼうけ食らわす気か!?」


 辛らつな、でも聞き覚えのある馬鹿呼ばわり。


 しばし、沈黙して。


「君、オオカミ?」

「そうだよ馬鹿!」


 顔を真っ赤にして、ぷいっと横を向いてしまった。

「人の姿にもなれたんだね」

 けっこう驚いた。
 こういう変化は難しいとか、そんな話だったし。

「ホントは人の目にさらしちゃいけないんだよ、馬鹿」

「じゃあ、なんでその姿に?」

「こうしないと不便だろうが! 馬鹿!」

 今日はいつもより馬鹿が多い。
 照れ隠しなんだろうと、勝手に解釈させてもらおう。
 実際、顔真っ赤だし。

「別にあの姿もこの姿もオレだからな。どちらが本当とかじゃないからな!」

 言い訳っぽく叫ばれる。
 何の言い訳かよく分からないけど。

「まあ、とりあえず。はい」

「聞けよ!」

 いつもどおりに、半分かじってからオオカミに食べものを手渡した。
 オオカミは顔を横に向けたまま、それを無作法に奪い取った。

 がつがつと、いつもの勢いじゃなかった。
 人間の姿をしてるせいか、ペースが少し遅い。

 両手で大事そうにもって、パクパクと。
 いつもと違って可愛らしい動作だ。

 狼の姿と人間の姿で、見方が変わるな。


 
 いつものオオカミの姿に、今のオオカミの姿をダブらせた。


 ぷいっと、顔を真っ赤にしてそむける姿。

 文句をつけつつ、僕が毒見した欠片を食べる姿。

 
 ……もしかし、僕。ものすごく恥ずかしい事してたのかな?

「どうした? 顔が赤いぞ」

 いきなり、オオカミが顔を覗き込んできた。

「な、なんでもないよ!」

 ちょっと驚いた調子で声をあげてしまった。
 オオカミが、驚いた顔してる。

「なんでもないから、気にしないで」

 なるほど、オオカミが恥ずかしがってたのがよく分かる。
 人の姿も狼の姿も一緒のようなものなら、今までの姿を同じもの同士の姿に置き換えられる。
 恥ずかしがってたわけだ。

 そう思うと、僕も少し恥ずかしくなってくる。
 唐突に言葉が出なくなってくる。

 ああ、でも。
 あんまり変な意識するとまた怒られるかな。

「……お前、この姿に引いてるのか?」

 静かな声音で、オオカミが尋ねた。
 黙りこんでた僕の反応が、失礼だったみたいだ。

「引いてない! 引いてないよ! どっちかというと、生意気口調なオオカミがこんなに可愛かったって言うのを素直に驚いてるだけだよ!」

「可愛いとか言うな! 生意気とかほざくな!!」

 なんて答えればよかったんだろ。
 言った台詞を思い返すと恥ずかしいし。

 結局その日、何だかぎこちない感じで終わった。










 人間の姿をしたのは失敗だったかな。
 あいつめ、うろたえ過ぎだ。

 オレにだって、いろいろ事情があるって言うのに。分からない馬鹿だ!

 説明して無いから、知るわけ無いんだけど。


 でも、あいつの前で人間の姿をしたのは。
 まあ、少しだけ、少しだけ。ほんの少しだけ……。
 信用……できるやつだと、思ったからなのに。


 人間って、分からないな。
 御伽噺どおりかもしれない。




「この姿とあの姿、どちらがいいんだよ!?」

 勢いで誤魔化しながら、オレはカスミに尋ねた。
 カスミは、頬をかきながら、上の辺りを見ながら考えてる。

 タカサキカスミ。細目で痩躯の優男。
 わりとはっきりと言うから、素直な言葉が聞こえる。
 おかげで、まあ、少しは……信、用、……できるんだけどな。

「オオカミは、どっちがいいの?」

「それを聞いてるのはこっちだ! 前にも言ったろ! オレにとっちゃ、どっちも本物だって! オレは、お前に聞いてるんだ!!!」

 カスミは考える素振りをする。
 こいつの細目は、考え事してると寝てるように見える。

 なんだか、回答が不安だ。

「今の、方?」

「疑問系で答えてんじゃない!!」

 小首を傾げながら、曖昧にカスミは答えた。
 少し頬に朱が混じってる。
 まさか、照れてるのか?

 気付いた瞬間、ばっと顔をそらしていた。オレは。
 これも、癖だな。

「気を悪くした?」
 
 気を遣う、心配そうな声。カスミのいつもの声だ。
 貧弱な男のなよなよした声だ。

「この馬鹿! オレが気を悪くするか!」

 本当の事だ。
 本当に、気を悪くなんかしてない。

 カスミの話し方は、その、ホントのところ、なよなよしてる。

 なよなよした感じも、まあ、なんというか。



 ……心地よく感じてる、ん、だよな……。



 まあ、その礼みたいなものか。
 会う時の姿を選ばせてやるのは!

 別に、オレのしなきゃいけないこととは関係ない。

 別に、そういう風に、決めたわけじゃない。
 決めたわけじゃない!!

「勘違いするなよ!!」

「な、何を!?」




 人間の姿で会うようになってから、だな。

まあ、最初ぎこちなかった気もしたけど、すぐにカスミは対応してくれた。
オレにしつこく食らい付いたんだ。それも当然か。


人の姿で会うにつれ、いろいろな事をするようになった。人の姿の方が、いろいろできたから。
あくまで、夜限定だけど。


オレは昼間。やることがあるからな。
それももう、最近はおざなりになってる。


春は花見。
持ち出した酒でカスミが酔いつぶれた時は焦った。

夏は花火。
山の高台まで連れて行こうとしたら、カスミは追いつけずに遭難した。かなり焦った。

秋は月見。
団子の代わりに焼き芋してたら、不審火と思われて二人で逃げた。

冬は雪。
カスミにかまくら作らせたらばててぶっ倒れた。そのまま朝までかまくらの中で寝かせてやった。



楽しかった、と、言っておいてやる。


オレは、何かにつけてカスミをこき使った。
カスミには、その事が嫌じゃないか訪ねたこともある。

むしろ、嫌と言わせたかった。

楽しい分、苦しい事もあるから。
でも、

「楽しいよ」

 苦の無い表情で答えるカスミに、オレはよく罪悪感を抱いた。
 癒される、のに、こき使って。


 
 そんなカスミに、オレは、何をとち狂ったのか。
 よけいな事を言った。


「お前さ。……何かオレに、良い名前無いか?」

 言って、しまった、と。
思わなかった。

カスミは、きょとんとした顔でオレを見てる。
この馬鹿め。
 
「名前も、無いと不便だし。まあ、オオカミって名前でも通じるといえば通じるんだけど。これで結構同族とかいるし、それぐらい区別できるような名前くらいあっても良いかなって……」

 後半、声が消えかかってるのを自覚した。
 何考えてるんだ。今更になって。
 
 今更になって、しまったと、思う。
 
 口を、滑らせた事に。

「ちょっと。ちょっとだけ思っただけだ。思いつかないなら別にいらないからつけなくても良いし。な、なんでもないからな!!」

 最期の叫びは自分に言い聞かせるように。
 カスミに、なんでもないって、思わせるみたいに。


ちょっとの間の沈黙

 何か言われるかもしれない、と思って。
 ちょっと怖かった。


 何も言わずにここで誤魔化してしまうかもしれないと思って。
 怖かった。



「じゃあ、空(くう)って、どうかな? 空と書いて、クウ」



カスミは、用意してたみたいにすぐ答えた。

「クウ?」

「そう。最初に会った時の、お腹空いてるイメージが頭に残ってね」

「そんなイメージかよ!!」

 安直な、そんな名前の付け方あるのかよ!

「おま――」

「それに、最初に人間の姿見たときに」

 オレの言葉を遮って、カスミが続けた。


「なんだか、儚く見えたんだ。だから、遠く感じても、絶対に無くならない願いを込めて『空』」

 
 ………こいつ……。

 真顔で、なんて恥ずかしい台詞を吐くんだよ。

「実は、最初に名前を聞いたときから考えてたんだ。君に似合う名前は無いかなって」

 しかも、なんて事を言うんだよ……。

「お前、馬鹿だよな」

「馬鹿かな?」

「最初に会った時から、正真正銘の大馬鹿だ。カスミ」



 カスミはその瞬間、きらきらと、笑った。



「やっと、名前を呼んだね。空」




 嬉しそうに。
 心底嬉しそうに。

 きらきらと、きらきらと。
 
 カスミは笑った。



 そのとき、確信した。


 ああ、もう。
 駄目だ。


 ……こいつで、いいや。



 一瞬、頭をよぎった。

 でも、恥ずかしくて、言えるわけない。
 今の今まで、まったくその話はしてなかったんだ。
 だから、その、まあ……。


「今更言えるか!!」

「え、何!?」

 誤魔化した。
 
 自分を。



 御伽噺でもないのに。








 長いこと、空と過ごした。
 今では、人間の姿の方が、馴染んでる。

 空という名で呼ぶことにはまったく怒られなかったのが嬉しい。
 僕のことも名前で呼んでくれる。

 やっぱり、名前が呼べると楽しい。


 いろいろやった。
 いろいろ楽しかった。


 
 だから、かな。

 その間に、一つの感情が生まれるのは、とても自然な事だと思う。



 それももうすぐ、一つの区切りを迎える。
 
 もうすぐ、僕は高校を卒業する。
 これまでにも、これからも考える問題は多い。
家業とか、将来とか、宗家とか、いろいろあるけど。

 だからその日。
 僕は、……。



決着を、付けに行く。




 そう思うのは、遅かったかもしれない。










 いつもみたいに、いつもの時間までカスミを待つ。

 自覚してはいるんだよな。楽しみになってるのは。


 もう、あいつが持ってくる食べ物よりも、あいつの方を待ってる。

 もう、毒見の必要なんか無いのに未だにさせてるのは、自分でも分からない。
 分からない、振りをしてる




 自覚してる。
 でも、言い出せない。



でも、今日は……。

知ってる。
今日はカスミの卒業式だ。
カスミの人生に、一区切りが付く日だ。



だから、区切りの日に、覚悟しないと。
御伽噺じゃ、ないんだ。




 そう思うの、遅かったかな。


















 オレは、自分の主人になる人間を見つけないといけなかった。
 それが、オレのところの掟。

 結構、どうでもいいことだと思う。
 気が乗らなかったから、真面目に探さなかったし。
 御伽噺でも、うまくいった話はそうそうない。

 ただ、期限を過ぎると主人を勝手に決められてしまう。
 それは流石に嫌だったから、まあ適当に探してた。
 昼の間に、捨て犬ならぬ捨て狼みたいにして待つだけ。

 気が乗らないことだからやる気も無かった。
 捨て狼を拾ってくれるやつなら、その辺のやつよりましだと思ったけど、いやしない。
 まあ、いなくて良かったと今は思う。

 けど、面倒な掟があるから、どうにかしたいところもあった。

 主人になった人間に近いところにいないといけないのも、掟。
 主人は変える事が出来ないのも、掟。

 そんで、主人が持つ決定権ってのも……。

 堅苦しくて、勘弁して欲しかった。



 だから、仕方なくなんだ。
 他には頼めるやつがいないからだからな。


 あいつしかいないからな。

 期限も近い、それも理由だからな。


 だから今日、カスミに頼むんだ。







 いつもの場所、いつもの時間に来たのは。

 カスミじゃなかった。


「退魔師!」

 いかつい男が三人ほど。法衣姿で現れた。
 殺気が充満するのは本能で分かる。


 本気か、よ。

 
 自分の存在は、まあ、その可能性がある身だ。
 こういうことも、考えていたんだけどな。



なんで、今日なんだろ?

 心が寒々と、熱く凍っていった、気がした。
 御伽噺じゃあるまいし。








 家に、宗家が来ていた。退魔師の、宗家が。
 これから、空のところに行くつもりだったのに、止められた。

 嫌な予感がする。
 嫌な予感しかしない。

しかも

「憑かれてる?」

 あまつさえ、宗家は僕に向かってそんな事を言った。



 冗談じゃない。
 あいつが悪いやつなわけが無い。


 けど、話はまだ続きがあった。

 僕を、宗家に引き取るつもりらしい。


 高崎宗家で、直系男児が絶えてしまったとか。
 そんな理由で、僕を迎えに来た、と言う。


 冗談じゃない。
 何で絶えたのさ?
 理由が言えない時点で話にもならない。


 退魔師になんかなる気は無い。
 特に、宗家のような心無い退魔師になんか、絶対ならない。


 それに、空と、相容れなくなる。





「冗談じゃない!!」




僕は、宗家を振り切って、飛び出した。


 嫌な予感がする。


 早く、行かないと。


 空のところへ。











 逃げ疲れた。

 流石は退魔師の手練だな。オレについて来るんだもんな。
 
 カスミの足じゃ、無理なのにな……。



 視界の端に、走ってくる人の姿がみえた。
 
増援。
 気にも留めない気だったけど、姿がはっきりして、向かざるを得なかった。


「カスミ!!」


 カスミは、手を上げて応える。
 
 その姿を見て、安堵した。




 カスミは、敵じゃない。



 だけど、このままじゃ。
 
 敵に、されかねない。



 覚えてる。
 カスミは退魔師の分家。素質がある。

 だから、オレを機に、退魔師に『させられる』ことも、考えられる。

 今が丁度、そんな状況だ。



 オレが逡巡してる間に、退魔師一人が肉薄していた。
 とっさに、飛びのく。

 そこへさらに一撃。
 それも避ける。

 さらに一撃。
 それも避ける。


 さらに……。
 
 さらに?

 
 一人多い!


「空!!」

 叫びを聞いて愕然とする。
 そこにいたのはカスミだった。


 重たい一撃を、オレにのしかけてきた。


「がは!」

 
 腹に鈍痛が走る。
 それ以上に、痛い。

 オレを押し倒した、カスミを睨んだ。

けど、


 カスミは、顔をゆがめてる。

 痛がって、る。


 え?


 そうか。
 そうだ。
 カスミじゃない。


カスミは、オレを庇ったんだ。

カスミの背にもう一人、退魔師が立っていた。
その手には、鈍く光る、重い錫杖がある。


「お前、カスミを……!」


 言いかけるオレに、その退魔師が迫った。
 錫杖の一撃を、カスミを庇いながら受ける。

 こっちは、そんなに力を持ってるんじゃないのに。




 御伽噺でよくあったけど。
 人と人外は、相容れない、のか。




 絶望感に身を打たれる。
 
 そんなオレに、退魔師が呟いた。


 

「手加減してある。カスミは大丈夫だ」

「え?」



 言ってる意味が、分からなかった。
 カスミは何故か、こくりと頷く。



「一歩下がる。そこで突破しろ」




 何、言ってるんだ、こいつ?
 意味が分からなかい。

 でも、次に感情の篭った声を吐き出した。



「霞住は宗家にやらん」



 それで、すぐに理解が追いついた。
 オレは、口の端をあげる。

「ありがと、父さん」

 カスミの一言。
 にっと、おっさんは笑った。

 おっさんはその場で体勢を、『わざと』崩した。

 それを押し倒す形で、言われたまま、カスミを連れて突破する。


 退魔師のおっさんが押されるとは思わなかったのか、おっさんの後ろはがら空きだった。






 とっさの事。

 オレたちは、何とか逃げ遂せた。






 


「なんか、唐突だね」

 卒業の日、決着を付ける日。
 あまりにも唐突な出来事が目まぐるしく起こって、今は何もないところにぽつんといる。

「オレの、せいか?」

 罪悪感にでも苛まれてるみたいに、空は俯いたまま言葉を搾り出した。
 違うのに。

「僕のせいだよ」

「オレだろ」

 オオカミは元気が無い。
 ずっと、こんな調子で。
 さっきのやり取りも何度もやって堂々巡りだ。


 何だか暗い。
 こんな時だけど、仕方ない……。



「僕、上京するつもりだ」

 唐突な話題に、空には意味が伝わらず首を傾げられた。

「ここを、出て行くんだよ」


 今度こそ意味が伝わった空は、息を呑んだ。
 
 しばらく沈黙した後。



「ふざけるなぁぁぁ!!」



怒鳴られた。

「何で?」

「何で、が、あるか! この馬鹿! 今そんな話してる場合じゃないだろ!」

「話が堂々巡りだから話題を変えてみたんだけど」

「変える話題に気を遣えよ! 出て行く!? 馬鹿か!」

 がっと、胸倉をつかまれた。

「それ! お前! 前から考えてた事なんだな! どこかに行くつもりなんだな!」

 意味はもう、伝わったらしい。
 今まで考えてて、今まで言わなかった事も。

「そうだよ」

「平然と答えんな! 今何を聞かれてるのか分かってんのか!」




「前から、考えてたことだよ。それを、今日言うつもりだった」




 卒業と決着。
 前から考えてた事だ。


 決着は、宗家との事。

 言うの、遅かったけど。


「宗家のことは父さんから聞いてたから、そのためにいろいろ準備してた。まあ、こんな事になって慌ただしくなったけど」

 退魔師になる気は無い。
 それは、昔から思ってたこと。
 父さんは退魔師だけど、それを僕に強制しない。
 だから、前から話して決めてた。

「だから、いろいろがんばらないといけないんだ」

 空は黙ったままだった。
 俯いて。表情が分からない。








 こんな勝手なやつだとは思わなかった。

 そりゃこいつは、強引で自分勝手なところがあるのは知ってるし、経験済みだ。
 だけど、そういう大事な事を…………さ。

なんで、今の、今まで……さ…………。



いつかは、終わるもんだとは思ってたよ。
御伽噺のように辛くない、優しく冷たい終わり方。


「勝手にしろよ」


 なんだか、どうでも良くなった。
 ぶっきらぼうに、一言で済ませる。

「良かった」

 安堵した声を、カスミが漏らす。
 なんだよ、それ?
 そんなもんだったのかよ。

 オレってさ……。



やってられなくなった。

どっか行こう。

オレは思い切り地を蹴った。









のに、手をつかまれててもつれながら落っこちた。

「何で掴んでんだこの馬鹿!!」

「どこに行く気?」

「どこでもいいだろうが馬鹿!!」

「良くないよ」


 なにが良くないんだか。
 自分は勝手にどこかに行こうとしてるくせに。
 オレがどっかにいくのを止める権利なんか無いだろ。


 オレが思いっきり睨みつけてやると。カスミはちょっと目線を泳がせた。
 軟弱なやつだ。これぐらいでそらすなんて。



 
「で、本題なんだけど。一緒に来ない?」


 カスミは、いきなりそんな事を言った。




「は?」


 言葉は聞こえた。
 意味も分かる。

 で、意味が分からない。


「こうなっちゃった以上、空は宗家に狙われるかもしれないから、少しでも安全なように、一緒に来ないかな?」


 何かと思えば、そんな理由か。
 その程度の理由で、オレが動くかよ。
 とってつけたみたいな理由、御伽噺並だ。

 それに、オレはカスミよりも弱くない。

「そんなの理由になるかよ馬鹿!!」

 盛大に罵ってやる。

 正直、今、何かに期待してた。その分腹が立ったから。


「ていうのが建前で」

「まだあるのかよ!」

 よくしゃべる。
 しかも本題とか言ったくせに建前だと。
 まだるっこしいにもほどがある。

 なんだか、カスミらしくない。いつもははっきり言うくせに。


 俺の下敷きになったままのカスミ。
 さっさと押しつぶして、どっか飛んでいきたい。



 カスミらしくないカスミは、気を取り直したみたいに、静かに深く呼吸した。








「好きなんだ」




 ………………。




 …………………………。




 …………………………………………。






「顔、真っ赤だよ?」

「うるさい馬鹿が!!!!」


 思い切って身を起こし、その反動でカスミを掴みあげた。
 さっと、立たせたカスミの背後に回って、首に手を回す。

 締めるような体勢に。

「ちょ、ちょっと! 首、首! 絞まるから!」

「うるさい馬鹿が! 自分が何言ったのか分かってるのか!!!」
 
「え、あ、うん。だからさ、僕、――」

「言うな言うな言うな!! これ以上言うな!!!」
 
 思いっきり力を込めて言葉ごとカスミを締めてやる。
 これ以上言われてたまるか。
 恥ずかしい。

「苦しいよ! もう少し緩めて!」

「うる、さい!!」

 絞まり気味の首を必死にこちらに回そうとするからだ。
 今、顔を見せられるわけ無いだろ、馬鹿!

「さっきの言葉本当なんだな!? 冗談とかじゃないんだな!?」」

「だから僕は空が――」

「言うなって言ってるだろ馬鹿!!」

 カスミはそれきり黙った。
 いきなり黙り込まれたもんだから、俺も何も言えなくなった。

 
 しばらく、そのまま。
 よくよく考えれば、オレがカスミに抱きつくような体勢で固まってた。

 気恥ずかしさが急に高まって、慌てて言葉を紡いだ。


「オレ、狙われてるんだろ? 迷惑かけるぞ?」

「いいよ」

 カスミは即答。
 
 だんだよ、こいつ……。

「それに、今までみたいに世話してあげるよ」

「お前! そういう事言うな!!」

 やばい。
 もう、しばらく顔上げられない。

 

 終わりだと、終わったと勘違いしたのは。
 ただの始まりで……。

御伽噺なら、オレから去るんだけど。
そうは、いかない。

 決心は、今まで出し惜しみしてた分。
 あっという間だった。

 


「良いのか!? 思いっきり迷惑かけてやるからな!」

「いいよ」

「これ以上無いってくらい、世話させるからな!!」

「うん。構わない」

「それから…………」

「それから?」

「言えるか馬鹿!」



 それで、お前を……。

主人にしてやるからな!


カスミ!!







☆★☆






「御伽噺は、教訓なんだ。

 垣根が高い、人と人外の間には。
 と思わせて。


 それを、踏み越えるだけの覚悟を持たないと。
 幸せになれないから。

 お前もがんばるんだよ」




 これから旅立つ愛娘の頭を、くしゃくしゃに撫でてやった。
 娘は、涙目でオレに抱きついてくる。
 
 よく寝る前に御伽噺を聞かせてやった、愛しい娘。

 名前は、おおかみと、掟のまま継承してる。
 名前は、後からもらうのが掟だから。


「心配するな。お前なら大丈夫だよ。きっと、いいやつを見つけられる」


 顔を上げた娘、おおかみは、こくこくと、素直に何度も頷いた。


「よし、じゃあ行っといで」


 ぐっと、おおかみは涙を拭き取った。
 それでこそ、オレの娘だ。

 たっと、娘は歩み出た。

 てこてこと、数歩進んで。
 振り返った。

 オレたちを。



「行って、きま……す」

 おおかみはぺこりと、頭を下げた。

 オレは手を振り、

「がんばるんだよ」

 カスミは、声援を送った。







「良い名前、もらえると良いな」

「当たり前だろ。オレたちの娘だ」

「そうだね」

 優しい顔で、カスミはふっと遠いところを見た。


 いろいろあった。
 そのことでも思い出してるのかもしれない。


 辛くもあり、楽しかった日々。
 御伽噺のように辛らつで、御伽噺のように切なくて。
 御伽噺のように、幸せを感じた、日々。

 傍らに立つカスミは、幸せそうに遠くを、そしてオレを見る。

 ゼッタイ、幸せだと思ったろ。


「空。名前、気に入ってる?」

 いきなり問いかけられて返答に詰まる。

「ま、まあ、悪くない」

 ぷいっと、カスミから顔を逸らしてやりながら素っ気無く答えてやった。

「よかった」

御伽噺なら、めでたしめでたし、だな。
 心地よい、優しい声でカスミは答えた。
 
 

 そんなカスミも知らないこと、が、まだある。

 御伽噺なら、謎を抱えたまま終わらないからな。

「ところで、掟なのはわかるけどさ。なんで名前は主人に付けてもらうんだ?」

 今まで何度と無く聞かれたこと。
 今もまた聞かれた。

 親として、娘に名前を付けられなかった事を不満に思ってる。
 その気持ちは分かる。



 でも、付けられる側の気持ちは分からないだろ?
 簡単には説明できないし。

 それに。


「言えるか、馬鹿!」



 この問いには、一生答えてやる気は無い。


なんせ。





『自分の選んだ人』につけてもらうんだから。


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