〜いなりさん参上!?の巻〜






 今日は七夕です。
 織姫と彦星の年に一度の逢瀬に願い事を叩きつける日、といったら身も蓋もないけどそんな日だったり。

「なにしとるんやー」
「うわぁ!」

 突然後ろから声をかけられるもんだから驚きました。
 振り向くと、ネコ耳巫女少女こと、ねこまたちゃんがいつの間にか立っていました。さっき散歩に出たばかりだと思っていたのに。

「ね、ねこまたちゃん……」
「そんな驚く事ないやん。で、なにしてるん?」

 ねこまたちゃんは私がいましていることに興味がありそうです。
 ていうか、そのらんらんとした目は獲物を捕らえたが如く私が手にしている一枚の短冊に注がれていました。
 
「『お友達がたくさん出来ますように』?」

 もう見えちゃったみたいです。

「ねーちゃん友達いないんかー?」

 ねこまたちゃんが心配そうに尋ねてきます。その仕草がまた可愛いもんだから、また抱きしめたくなってきちゃいます。今のところ、通算三回ねこまたちゃんは気絶しているのはけっこうな秘密です。

「ううん。そうじゃないの。私、遠くからこっちに上京してきたばかりなの。友達とけっこう離れちゃったし、こっちにも友達が出来ますよーにって、ね」
「そうなんかー」

 ねこまたちゃんは腕を組んで頷きます。

「近所とかどうなんやー?」
「近所? あ、えっと……」

 近所かぁ。引っ越してきてまだ一ヶ月くらいしか経っていないんだけど。

「実はね、引っ越してきた時に挨拶してないの」

 これでもけっこう私は人見知りします。ご近所さんに挨拶しなきゃとは思うけど、ちょっと億劫になってそのままにしてた。

「挨拶してないん?」
「うん」

 私が肯定すると、ねこまたちゃんは腕を組んで考え始めました。眉間にしわ寄せてるように見えます。ねこの眉間て分かりにくいですね。
 ねこまたちゃんは何か考え付いたのか、満面の笑みで顔を上げました。

「今から挨拶いこか」
「今から!?」

 今日は平日です。普通の人は休みじゃないんです。私は別だけど。

「ほな、蕎麦打つでー!」

 ねこまたちゃんは腕まくりして手を上げました。

「え、蕎麦? 引越し蕎麦の事?」

 ねこまたちゃんは頷きました。

「せや。昔から引越しの挨拶は引越し蕎麦やゆーやん。せやから、七夕にちなんで蕎麦をふるまうんや」
「七夕にちなむ意味がわかんないよ」
「そこは気持ちや!」

 大阪弁標準装備のねこまたちゃんは、何かと精神論で事をやっつけたがります。でも、今回はちょっと賛成ですね。

「ねこまたちゃん、蕎麦打てるの?」
「気合や!」

 即答です。多分出来ません。

「私が打てるよ?」
「ほんまか? ねーちゃんすごいなー」

 感心してるみたいです。けっこう得意な気分になりますね。
 というわけで、早速材料をあつめて調理に取り掛かりました。



 ぺったん。

 のばしのばし。

 にょーん。

 ぱちん。

 たんたんたんたん。


 
 えっと。完成、かな。

「……出来たよ」
「ねーちゃん作りすぎや」

 ……やっぱり突っ込まれました。
 お料理好きなので作る過程は本当に楽しいんだけど、夢中になると加減が出来ないみたいです。昔から私はそんな子だったみたいです。

「ちょっと食べよっか」
「せやな!」

 ねこまたちゃんは嬉しそうです。二十人分作った甲斐がありました。


 お隣さんの部屋の前に来ました。
 手には大量のお蕎麦を抱えています。
 ねこまたちゃんは私の隣で苦しそうにしています。たぶん、育ち盛りが言い訳なんだろうなー。

『隣は多分今おるでー。て言うかおったで』

 なんだか先に探ってきたみたいでした。時々、ねこまたちゃんが猫だという事を忘れそうになります。それ以上に、ねこまたちゃんが悪戯好きなのを予感させます。

「ごめんくださーい」

 って言ったのはねこまたちゃん。私は思わず『え?』って顔になった。
 ねこまたちゃんは私の声色で言ったんだから。

「ね、ねこまたちゃん?」
 
 私が理由を尋ねようとしたら、ねこまたちゃんはこっちを向いて『し』と言った。
 確信。何か企んでます。

「だめだよ。悪いことしちゃ」
「えーって、えーって。大丈夫」

 ねこまたちゃんは笑っています。今日のねこまたちゃんは悪い子かもしれません。
 暫くもしないうちに、部屋の方からリアクションが返って来ました。

「こーん」
「なんで!?」

 明らかに想定外のお返事です。
 狐? 狐がいるの?
 そしてすぐに扉が開きました。

「みこーん」

 …………みこーん?

「あぶな!」

 ねこまたちゃんが叫びました。どうも私は手から蕎麦を取り落としたみたいです。すんででねこまたちゃんがキャッチしてくれました。
 それよりも、えっと、この子。
 頭に狐の面をずらしてつけた長い髪の女の子。ねこまたちゃんみたいに巫女服を着ています。なんでか無表情。でもその無表情っぷりが可愛らしくて……。

「いなり! 逃げぇぇぇぇええええ!?」

 ぎゅ

「にゃーーーーーーー! いなりパス!」

 ねこまたちゃんは苦しさに耐え切れず、キャッチした蕎麦を狐面をつけた女の子、いなりと呼ばれていた小さな巫女にポーンと投げました。
 とんだ蕎麦は、ほとんど微動だにしないいなりちゃん(暫定)の腕に、一切の型崩れなしで収まりました。何気に神業です。

「ねーちゃん! ターゲットはもう違うで!」
「ねこまたちゃんも良い!」
「ねーちゃん待ってーな!」


 ……えっと、しばらく我を忘れてました。
 私の胸元にはべろんべろんになったねこまたちゃん。
 お隣さんの玄関先に、いなりちゃん(勝手に決定)が蕎麦を持ったまま固まっていました。と言うよりも、素で微動だにしません。ちょっと気まずいです。

「……お客さん?」

 と、いなりちゃんがようやく声を出してくれました。

「えと、ご挨拶に来たんだけど……」
 
私の言葉が尻すぼみになります。今の騒動でちょっと答えにくくなってる。
 答えに窮していると、今度は部屋の奥から人が出てきました。

「お客さんかー?」

 出て来たのは男の人です。えっと、確かにいましたね、平日に。
 いなりちゃんは男の人の問いにこくんと頷いて、指を向けました。

「あ、ねこまた!」

 男の人が声を上げました。ねこまたちゃんを知ってるみたいです。

「知ってるんですか?」

 恐る恐る尋ねてみました。男の人は私を見て、なんかうっとなりました。ちょっと傷付きます。

「あ、ああ。あんた関係者だよな?」
「はい。ねこまたちゃんはうちの居候さんです」
「居候?」

 男の人は首を傾げます。
 よくよく考えてみれば、男の人の問いはねこまたちゃんの正体について聞いているんだと思います。関係者じゃなければ話しにくいかもしれません。

「うちの、元飼い主や」

 あ、ねこまたちゃんが気付き……飼い主!?

「ねこまた! 言い方が……」

 男の人の言葉が途切れました。私が思いっきり引いた事に気付いたんだと思います。

「あ、ああ。あんた、誤解すんなよ?」
「誤解も何も、ねこまたちゃんが直接言って――」
「苦しい苦しい!」
「ねこまた、近所迷惑」

 私と男の人が押し問答する一方で、いなりちゃんが淡々とねこまたちゃんを諌めます。

 収拾がつかなくなりそうだったのを、いなりちゃんが一言でやっつけてくれました。

「家主は飼い主」

 だそうです。
 細かい説明はもう後にして、つまりねこまたちゃんは前にこの男の人のところにいたみたいです。人間関係複雑ですね。

「うちもな、にーちゃんに迷惑かけられへんと思って出たんやけどな。奇妙な縁やな」
「一言くらいなんか言ってから出て行け。心配するだろうが」

 荒っぽいけど、男の一個の言葉は意外なくらい優しいです。いなりちゃんの無表情が少しだけ緩んでいる気がします。

「ま、それでな。引越しの挨拶や」

 ねこまちゃんは、さっきからいなりちゃんに持たせっぱなしの蕎麦を指差しました。

「うちのねーちゃんが作ったんやで」
「へぇ。凄いんすね」
「いえ、そんなこと……」

 男の人は感心してました。ちょっと恥ずかしいです。いなりちゃんが男の人に蕎麦を渡します。
 その瞬間。

 ぱーーーん!!!

「きゃあぁぁあ!」
「うおぉぉぉお!?」

 蕎麦が破裂しました。
 いきなり大量の木の葉になってあたりを四散しました。

「にゃははははは! 挨拶や」

 ねこまたちゃんだけ嬉しそうに笑っています。
 はぁ。困った子です。

「ねこまた、やりすぎ」

 いなりちゃんがちょっと怒ってます。
 ねこまたちゃんはそれに気付いたのか、ごほんと咳払いをしました。

「悪いなぁ。せやけど蕎麦はちゃんとあるで」

 そう言うねこまたちゃんの手にはいつの間にかお蕎麦がありました。
 おとなりさんへのご挨拶がドッキリになってしまいました。
どうしましょう、この子。


 男の人は眼をちかちかさせています。なんだか凄く気まずくなってきたので出直すことにします。

「えっと、また来ます」

 私はねこまたちゃんの手をひったくってその場を立ち去ろうとしました。

「ちょ、ちょっと!」
 
そんな私を男の人は呼び止めます。
怒ってるのかなぁ。恐る恐る振り返りました。
男の人は手に持った蕎麦を軽く掲げて、

「ありがとうございます!」

 元気いっぱいに答えてくれました。
 私はそれ以上に何も言い出せなくなって、頭を思い切り下げて部屋に逃げ出しました。
 背中から、またあの男の人の声が聞こえました。

「そいつ、頭撫でると喜びますから」


 私の前に、ちょこっとだけしゅんとなったねこまたちゃんがいます。
 いたずらしたことに罪悪感を全く覚えないほど悪い子じゃない見たいです。

「うちはいたずらしたら必ず謝る事にしてるんや。だから、ねーちゃんごめんな」

 ……暗に、またやる事を言ってるみたいです。
 でも、私だってそんなひねくれた考えだけを持っているわけじゃないです。
 
 男の人に言われたとおり、頭を撫でました。
 ねこまたちゃんは、一瞬驚いて見開き、すぐに気持ちよさそうに眼を細めました。

「悪い事を悪い事だって分かる子だから、今回は許します」

 ねこまたちゃんは嬉しそうに頷いてくれました。

 七夕に持っていったお蕎麦で、私のご近所付き合いが広くなりました。
 これが、もし、織姫彦星になるかどうかは、わかりません。
 ともあれ、ねこまたちゃんのおかげで順調に友達が増えそうです。

☆おまけ☆
いなりさん特設ページがどこかにあります。 がんばって見つけてみよう!
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