おおかみさん





朝、人の気配で目が覚めた。
俺は跳ね起きてすぐさま脳を覚醒させる。
気配の正体は台所にいた。今日も朝食の支度をしているようだ。


またか……。



最初そいつが来た時、俺は鶴の恩返しを思い出した。
助けた鶴が人間の姿に化けて恩返しに来るとかいう有名すぎる話だ。
鶴は正体がばれてはいけないらしかった。人間と人外の垣根ってのは高いらしい。
最終的には正体がばれて帰ってしまうんだがな。

俺からしてみれば、そんなことはどうでもよかった。
人間であろうが無かろうが、押しかけられての恩返しなんかに用は無い。
役に立つやつが一方的な従事をする形なんか、気に食わない。

だが、何の因果か俺のところにそいつは来た。
即、追い出した。
助けた覚え自体がない。
だというのに、毎日勝手に部屋に入り、部屋の掃除や食事の準備を勝手にする。
執拗に食い下がるから正体も暴いた。


しかし、なんでこいつは帰らない?


溜息を吐きながら立ち上がる。
俺の胸くらいの高さまでしかないそいつに背後から近付いて、俺は首根っこを捕まえた。

「きゃ!」

小さな悲鳴を上げるそいつを、俺は有無を言わさず持ち上げた。

「ひ、ひぅ! た、高いです! 怖い、で、す……」

語尾がどんどん弱くなっていく。気が弱いやつだ。
首を捕まえたまま、俺はそいつをこっちに向かせた。
紫色の髪が特異な、それ以上に頭部についている三角形が特異な、さらに尻尾が特異な、その上巫女服という特異な格好をした気の弱いやつ。
小さな小さな、女の子。
大きめの眼鏡をかけていて、それが少しずり落ちている。
そいつは俺の顔を見るなり目元をゆがめた。
泣きそうだ。
俺は怖いか……。

「何故おまえはここにいる?」

泣きそうだろうが、俺は容赦するつもりはない。
俺の冷たい物言いにさらに目元をゆがめ、あまつさえしずくが流れた。

「あ、あの……。わたし、は……ご主人様の、お役に、立とうと……」
「いつから俺はお前の主人になった」

そいつはびくりとして、小さくうなだれた。

「俺は言ったはずだな。もう来るなと」

さらにうつむく。

ちっ。

「ここに来る理由は何だ?」

そいつはぴくりと反応し、少し上げた顔で上目遣いに俺を見た。
もごもごと、口の中で言葉を出すか出さぬかで悩んでから、小さく小さく答えた。

「お役に……立ちたい…………から、です」

俺は手を放した。
そいつは床に尻餅ついて泣きそうになった。
俺はそいつに背を向ける。

「もう来るな」


はっきりと、泣き声が聞こえた。




朝飯の支度をしてくれたり掃除をしてくれたりするあいつは、はっきり言えば、役に立つ。
俺は教室でぼんやりしながらそんな事を考えた。
もっとも、置けない理由もはっきりしている。
見た目が珍獣だかなんだか知らない電波気味な格好が問題とかではない。
一応、あいつの正体なんかはもうわかっている。

犬だ。

普通のやつなら動揺するところだろうが、俺にしてみれば「だからどうした」程度の問題だ。
実際に『変身』とやらも目の当たりにした。暴いたのだからな。
何の感慨もなかったが。
真に差し迫った問題は一つ。

切実に、食費が足りない。

俺は一人暮らしのバイト生活。学費もバイトで稼いでいる。
自分ひとり食っているだけで精一杯だというのに、食い扶持増やすわけにはいかない。
働きに見合うものが出せないのだから、毎度毎度追い返しているのだが……。

やれやれだ。

まあ、流石にもう来ないだろう。
今朝はいつもよりもきつく言ったわけだし。


……泣かせたのは失敗だったな…………。




今日のバイトはいつもより遅くなった。
やる気のないやつがサボりやがって、そのお鉢が回ってきやがった。
役に立つ気がないやつが働くな。
あいつを見てからは、よりいっそう思う。

……疲れてんな。


俺がアパートに着くと、部屋の扉の前に犬が転がっていた。

また、か……。

溜息が出るが、もうどうでもいい。
俺も疲れてんだ。

俺は部屋の鍵を開ける。
そして、部屋の前で寝ていた犬を起こさないように抱えあげて部屋に入った。

犬を布団の上に転がした。
その傍らに腰を下ろす。

妖怪にストーカーされ、それを保護するようなまねしている俺は馬鹿だな。
最近は溜息が尽きない。
このストーカーが役に立たないストーカーだったら良かったのだが。
やってられん。

「いなりちゃん?」

そいつは急に言葉を発した。
起きたか?

「ねこまたちゃん?」

誰と勘違いをしている? 友達か?
目は俺を見ているのに、明らかに別の名前を口走る。

「起きろ、出て行け」

起きたのなら置く必要もない。
今朝の弁もある。

「駄目……です……。出られ、ないです……」

……寝ぼけているのか。
犬の寝ぼけた眼ははじめてみるが、本当に半眼だ。

「何故出て行かない?」

寝ぼけているなら、そのまま本音を聞いてしまうか。
犬の姿のままで、そいつはむにゃむにゃと語りだした。

「掟……覚えて、わたし……わたしの、血筋は……ご主人様を、一度仕えた人を……変えたら、駄目なの、駄目……です、から」

そういう事か。
……がっかりした。

「お前が主人と呼ぶ男は、それを認めた事はない。お前は正しく仕えた事にはならん」

くだらない。
役に立ちたいだの何だのと、掟破りたくないがためか。
仕えられる側にとってはいい迷惑だ。

「駄目……それ、も」

否定する、犬の姿で話すそいつの声
ほとんど寝言だ。気にするのも馬鹿げた話しだ。

「何が駄目だ。お前はお前の本当の主人を見つけろ。ここから出て行け」

寝てる頭に刷り込んでおけば暗示にでもなるか。
そう思いながら、半分寝ているそいつに命令する。
だが、命令は拒絶された。

「助けて……もらった、から」

助けた?
俺がか?
記憶にない。
だが、
それも、どうでも、いいか。

「助けてもらった等という事は理由にならん。出て行け」

鶴の恩返しなら、正体がばれた時点で帰る。
こいつにいたっては、自分から正体をばらした。
何の意味があったのかは知らんが、助けた覚えがない以上、こんな妄想に付き合えない。

こいつは有能だ。
だから、置けない。

「出て行け。朝になったら出て行け」

甘いな。
今すぐたたき起こして捨てればいいものを、馬鹿らしい。
そいつは、さらに寝言の続きを呟いた。

「いた……い、です。そこに、ご主人様の、役に……。役に立てば、いても……いて、良い……って…………」


―――思い出した。
こいつ、あの時の犬か。

ああ、くそ!
しくじった!

あの時か、あの時の……アレのせいか!
まったく、俺はどうかしてたんだ。正気じゃなったんだ。
あの手のやつはよく見るんだ、いちいちどれがどれだか覚えてもいない。
だが……。
軽はずみな事はするものでも言うものでもない、ったく!


ああ、だが………。
これで、これで、はっきりとした。




「なんでここにいる」

翌朝、やはりいつもどおりの光景に、俺はいつもどおりに応対してやった。
相も変わらず、俺よりも早起きなそいつは朝食の準備を済ませていた。
ご苦労な事だ。
一瞬、肩をびくりと震わせたそいつは恐る恐る俺を見た。

「あ、おはよう……ございま、す」

小さい、たどたどしい声だ。
まあ、仕方が無いな。

そいつの近くまで寄って、俺は手を上げた。
そいつはびくりとして、ぎゅっと目を瞑った。

ぽんっと、そいつの頭に手を乗せた。

「え……」

そいつは目を見開いて、俺を見た。

「お前、名前はなんだ?」

え? って顔をしている。
半ば呆然とした感じで、おぼつかない口調で答える。

「おお……か、み……です」

おおかみ?
だったのか……。
まあいい。
俺は言葉を続けた。

「役に立つなら……約束だ」

全部を話すのが、なんだか癪に触って、それだけ言った。
まあ、分かったみたいだがな。

「ああ、あ、あ、あ……」

わなわなと震えた後。

「ありがとうございます!」

と俺にタックルしてきた。
俺は俺よりも身の低いやつに押し倒された形になった。

「おい! 調子に乗るな! 放れろ!」

ぐいぐいと押して突き放そうとするが、なかなか放れない。
涙をぼろぼろ流している。これでは、あまり力を入れられない。
まったく……。


結局、こうなったか。

実際、最初からこうなると思っていたのかもしれないがな。
一つ間違えば、こうならなかったはずなのに。
奇妙なものだ。

俺も、役に立ってやろうか……。





雨の日でした。
わたしは……狼の姿で、箱の中にいました。
拾ってくれる、優しい人……ご主人様、になる、人を探して……。
でも、いない……です。
通りがかる人は、わたしを見るばかり……拾う人は、いないです。
雨の日です。箱にも、水が、たまって……きて、寒い、です……。

だいぶ、時間も経ちまし……た。
日が暮れて、もう、誰も……通りがかりません。
諦めよう、と、思い……ます。
いなりちゃんも、ねこまたちゃんも、見つけてもらえたのに……。
わたしは、駄目……みたいで、す。

そんな中でしたか……一人の男の人が通りがかりました。
雨の日、なので……傘を差しています。
こちらを、見る気配も……ありません。
駄目……です。

この人が、通り過ぎたら……やめよう。
そう、思いました。
通り過ぎる瞬間……睨まれ、ました。

黒の長髪、切れ長の眼……とってもとっても、怖い、です。
こちらに、歩いて……きます。
もし、この人に拾われたら……少し、怖いかも……。

その人は、わたしの前に……来て、じっと睨んで、ます。
そして、わたしを、掴みあげました。

声をあげそうになりました。

拾われる……と、思いまし、た。

でも、わたしは……そのまま箱に、戻されました。
何だった、のですか。と思いましたけど、箱の中に……水がなくなっていました。

優しい、人……?
でも、怖い、人です……。拾って、は、くれません……。

わたしはその人を見上げました、けど、視界が……何かに遮られまし、た。
傘でし……た。

顔が見えません。
怖い顔、見えま……せん。

「役に立たないのにな。お前は」

冷たい言葉、でした。
ずきりと……しました。

「拾われようとするな。自分で探せ」

声が……少し、遠のきました。

「自分から動かないと、『役』が立たない」

もっと、遠くから、独り言……みたいに……。

「役に立つなら、選んでやるんだが、な」


あの人は、わたしが何なのか……分かってたみたいです。
たまに、そういう人も……いましたけど。
声をかけたのは……あの人、だけ、で……。

あの人だけ…………。

役が、立つ……役、に……立つ……。
自分、から…『役』に………。

…………そう、あの、人……にしよう………。

あの人に、して……もらおう。

わたしの、『役』を……決めた、人。
わたしに……『役』を、くれた………人。

見つけました。
決めました。

わたしの、ご主人様……。


☆おまけ☆
いなりさん特設ページがどこかにあります。 がんばって見つけてみよう!
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