おおかみさん



ご主人様が、帰って……来まし、た。

玄関に、荷物を、どさっと……降ろしま、す。

私が準備した、ご飯を、一緒に……食べて、くれます。

すぐに、寝てしまいます。

私が……いて良い、あの日から………………。


ご主人様は、疲れています。



今日も疲れた。
バイトは遅く、帰る時間はさらに遅い。
校則では深夜のバイトは禁止だが、そんなこと気にしていられるほど俺の経済状況は良くは無い。学校側も、学費をバイトで補っている俺の事情を理解して欲しいものだ。

俺の帰りは、本当に遅い。日付が変わりそうだ。
アパートに帰れば、ほとんど寝るだけだ。
これでも、生活は楽になったほうだと言えるだろう。

つい最近、俺の部屋には、役に立つやつが住みついた。
家事のほとんどをそいつがやってくれるおかげで、俺は、少し楽になっただろう。
だが、帰るのが遅いせいで、疲れた俺にはそいつに声をかける気力が残っていない。
飯を食って、すぐに寝てしまう。

もっとも、優しい声などかけるのは柄でもないか。



楽になったはずだ。
だが、やはり疲れているな。
高校の授業は時間中に就学するように努め、バイトも妥協しない。その体制は以前と変わらない。
体制は、以前と変わらないのだが……。


あいつが来てから数日過ぎた。
俺は相変わらず遅くに帰宅する。
いつものように荷物を投げ捨て、飯を食い、そして寝る。
それだけの少ないサイクルに、今日は少し間が入った。

「あ、の……」

おおかみが、寝ようとする俺を呼び止めた。

「なんだ」

俺が返事をすると、おおかみはびくりとした。
まだ、俺は怖いか……。

「そ、その……」

言葉がまごつく。言いにくいのか。

「ご主人……様、は、あまり………」

そこでいったん口をつぐみ、

「無理をされているのではないですか?」

いやにはっきりとした口調で言った。

そんな風に見えたのか、俺は。

「無理などしていない」

当然の答え。
俺は無理だと思ってはいない。
だが、おおかみはなおも続ける。不安げに目を潤ませながら。

「で、も……、ご主人様は、明らかに疲れてます」

明らか、ときたか。
おかしな話だ。体制は前と変わらないというのに。

「お前の気にすることではない」

そういうと、おおかみはまたびくりとして、何も言わずにしょんぼりとうなだれた。
まったく……。

「おまえは、気にしなくて良い」

俺はそう言っておおかみの頭をなでるように手を添えた。
おおかみが上目遣いに俺を見る。

「今日も、ご苦労だった。明日も、頼めるか?」

おおかみは目を丸くした。ついで、こくこくと頷く。
そして、

「はい!」

あまりにも大きく、あまりにも健気な返事をした。
俺は頭をなでた。
おおかみは一瞬びくりとして、と、次第に胡乱な目になっていった。
気持ち良いのか?
頬には薄く朱がさして、いつもびくびくした感も、張り詰めた感も無い。

今までにない和やかな雰囲気

こいつは、ああ………。

いいな。







でも、やっぱ、り……ご主人様は……疲れて、います。








バイト帰りに、異様に眠くなった。

ほとんど倒れそうになり、近くの公園のベンチで休んでから帰ることにした。
時間は、やはり深夜。それ以上は知らん。

ベンチに腰かけ、夜空を仰いだ。

眠い。



多分、三十分くらいたったと思う。
それくらい寝たのか、少しは楽になった。
ぼんやりとした視界で正面を見ると、そこには巫女姿の女の子がいた。

「おおかみか?」

こんな時間に出歩いていい許可を出した覚えはない。
あいつが夜出歩くなど、物騒この上ない。動物の姿でも同じことだ。

「おおかみの、飼い主?」

その巫女姿の女の子は、あいつとは違う声音で話しかけてきた。
どうやら別人だ。
頭に狐の面をずらしてつけた青い髪の女の子。
こんな時間に……とは思うまい。
そんな事よりも、気になることはある。

飼い主?
ご主人様とかいうアレか。

「一応、そうなるか」

応えるというよりも、独り言でも呟くように言った。
おおかみのことは、一応は認めたが主従関係みたいなものに納得していない。
普段でこそ、そういう振る舞いをするが、そうでもしないと、俺は……。

接し方が分からない。

「それがどうした、狐」

何かを言われる前に俺が先に声を出した。
俺が『狐』と言った事に反応したのか、そいつは少し揺れた。
やはり、その類か。
おおかみを知っているあたり、友達か何かだろうな。

狐は少し思案気に顔を伏せ、やがて言葉をしぼり出した。

「おおかみが、心配してる」

「だろうな」

俺は即答してやった。
だが、意外に狐は動じなかった。

「あなたは、つらそう」

「苦にはならん」

「働きすぎ」

「これでも楽になった」

「それは、本当じゃない」

本当じゃない、か。
何処に間違いがあるか。

「以前と体制は変わらん。その中にあいつが入ってきたんだ、辛くなるはずがない」

「前よりも、帰りが遅い」

…………それがどうした。

「たいしたことは無い。あいつに言っておけ、気にするなと」

「自分で言って」

即答された。
ずいぶんと淡白なもんだ。
まあ、俺みたいなやつが相手ならそんなものだろう。

「なんでそんなに、働くの?」

「生きるためだ」

いきなりの質問だが即答した。
当たり前の話だ、俺は俺のかかる費用を自身で稼いでいる。
全部だ。

「じゃあ、なんで前よりも働くの?」

即答、出来なかった。

何故こいつがそんなことを知っているのか、など理由はいくらでも出るだろう。
相手は狐だ。
しかし、そんなことはどうでもいい。

俺が、前より働く理由か。
そんなもの……。

「あいつが俺に聞けたら、答えてやろう」

俺はベンチを立った。

「あいつの友達か。狐から察するあたり、『いなり』か。俺は至らん人間だ。引き剥がすなら早々にしておけ」

狐、いなりの顔に少し表情が出た。
動揺か、緊張か、怒りか、悲しみか。
知らんがな。

ただ、もう一言付け加えておいてやろう。

「言っておく。あいつは役に立つやつだ。あいつが役に立ってくれる以上、俺は簡単に引き剥がさせん」

今度の表情変化ははっきりと分かる。
怒りだ。

だが、早計だ。

「無論、俺はあいつの働きに見合うだけ働く」


表情が変わったかどうかは、見なかったから知らない。

なんであんな事言ったかも、知らん。




「ただいま」

一人暮らしに部屋にそれを言うのはあいつが着てから。
すでに時間は深夜どころではない。
意外と時間を食っていたようだ。

おおかみも、もう寝ているだろう。
こんな時間まで起きているなど、良いことではない。

だというのに……。


テーブルの前でうつらうつらしながら座っているおおかみがいた。
ほとんど寝ているようで、しかし首が揺れるたびにぶんぶんと首を振る。
意味が分からん。

そんなやつが、俺に気づいて声をかけた。

「お、おかえり……なさい、ませ」

今までうつらうつらしていたことをごまかすように、しゃきっと正座をして俺を出迎える。
仰々しいものだ。

「ああ」

だから、それだけの返事しか出来なかった。
それから、

「飯は、あるか?」

尋ねる。
おおかみは大きくうなずきかけ、小さくうなずいた。

「あ、の……冷えて――」

「構わん」

冷めているくらい、一向に構わない。
こいつが役に立ってくれた分の働きに、俺は応える義務がある。
料理は、経済状況をよく反映した貧しいもの。
だが、料理べたでインスタントで済ましていた俺にしてみれば、経済的で健康的だ。

俺が飯を食い始めると、おおかみも食べ始めた。
まだ、食べていなかったのか。

「先に食べておけば良いものを」

「一緒、が……良いで、す」

これは、こいつなりの自己主張なのか。
なんと小さい願望だ。
なんだか、笑えた。

「バイトを増やした。最近遅くなったのはそれが理由だ」

俺は唐突に切り出した。
おおかみはいきなりのことで、「え」という顔をしている。

「お前ががんばっている以上、俺もがんばらねばならん。その働きに見合わないとな」

狐に言っておきながら、俺は自分から話した。
毒を食らわば皿まで、とは言いすぎだがな。
すでに誰かに話してことなら、もう本人に話したところでどうでもいい。
それか……どこかに狐に対する対抗意識があったかもしれん。

馬鹿らしい話だ。

俺はまっすぐにおおかみを見た。
おおかみの目は潤んでいて、そして勢いよく首を振った。

「そんな、駄目で、す。ご主人様に……無理をされては、その……」

言葉尻が弱々しくなる。
すぐに落ち込み加減になるやつだな。

「お前のがんばりの分だけ、俺は働ける。それだけだ」

「でも……」

今度は深くうつむいた。

まったく、話してはみたものの、こんなものか。
こんなやり取り望んだわけではない。

――では、何を期待した?

「ならば、俺が働く代わりに俺に何か要求しろ。お前の働きの分、俺は応えてやる。役に立つやつの当然の権利だ」

気が付けばそんなことを口走っていた。
言って、気付いて、口をつぐんだがもう遅い。
言ったことを反故にすることなど、出来ない、からな。

「手始めに、何か言ってみろ」

こうなれば、こうなったからこそ、やってやろう。
いくどかまごついたあとに、おおかみは恥ずかしそうに言った。

「時々、で……いいです、から。頭を、撫でて、くださ……い」

それだけか?

もっと尋ねようかと思ったが、少し前のことを思い出した。
なるほど。本人が望むなら、やってやらんと。

「こうか」

俺はおおかみの頭に手を乗せた。
びくりと肩を震わせ、そして緩んでいく。

今改めて思ったが、こいつの髪の毛は柔らかく毛並みがよくて、触っていて気持ちがいい。
おおかみも、気持ちよさそうに目を細める。

「は、い……」

俺は少しずつ、ゆっくり、頭を撫でた。

普段優しくしない分。
普段答えてやらない分。
普段応えてやれない分。

俺の手も、時間も、俺自身も、おおかみも、ゆっくりと………過ごした。





朝までそうしていた俺は、確実に馬鹿だろう。


☆おまけ☆
いなりさん特設ページがどこかにあります。 がんばって見つけてみよう!
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