おおかみさん



認めよう、働きすぎたと。

年齢と労働基準法の兼ね合いを完全に無視して働きすぎた。
過ぎたる所以は、あまり思い出したくもないな。

俺にとって、役に立つ立たぬは命題みたいなものだ。
故に、役に立ちすぎるあいつが、なんだかまぶしく感じたのだろう。
それを疎ましいなどとは決して思わない。劣等感はあったろう。

前置きはもういいか。
今とて思索するぐらいしかやる事もない。
誰に話すでもない。
ただの、独り言。


本当に馬鹿な話だ。



俺は、風邪をひいた。




流石に無理がたたったのだろう。
今なら働きすぎだと素直に認められる。
学校とバイトの二重生活に休憩がほとんど挟まらなければ倒れるのも無理は無い。

馬鹿な話だ。



「ご主人様……」

俺の部屋に住む、有能な家事手伝いのおおかみが、例の如く消え入りそうな声で俺を呼び止めた。
玄関から出ようとしていた俺は足をとめ、振り返った。

体がだるい。
今そう感じ、そして呼び止められた理由を察する。

「顔色が、悪いのか?」

先に尋ねると、おおかみはびくりとした後、申し訳なさそうに頷いた。
お前が申し訳なくなる理由は無いのだがな。

「あ、あの……今日は、休まれた方が……」

言いたい事は分かる。俺とてそう思う。
こんな調子で出歩いてしまえば、どこかで倒れかねない。それほどの不調なのだ。

「いや、出る」

しかし、俺は外に出る事を選択した。
バイトは無理でも学校には行く、つもりだ。

「そ、そんな……お体に、障り、ます……」

おおかみが俺の体を気遣ってくれる。不思議なものだ。
しかし、俺が外に出る事を選択した理由が、まさにそれだ。

俺は、あまり、

おおかみのそばにいたくないのだ。




とは言え、結局学校に行く事を断念した。
玄関先で、ドアを開けずに外に出ようとしてぶつかったのだ。

……思ったよりも重傷だ。



おおかみは俺の看病を買って出た。
あいつの性格なら当然の行動だろう。
断ろうにもそんな気力は出ず、もはやなすがままに看病された。


意外な事に、こんな時のおおかみは気が強かった。

「駄目、です」

今日だけでこの台詞を何度聞いた事か。
布団から立ち上がろうとした時、食事を自分で用意しようとした時、教科書を手に取ろうとした時。
その他もろもろ、多くの注意を受けた。
看病する者としては当然の心構えなのだろうな。

俺も俺だ。
教科書の字も読みきれないほど弱っているのに動こうとする。
まあ、あいつがいることの気を紛らわすというのが理由だったのだが。


昼も過ぎれば、体調も随分回復した。
まだ養生する必要はある、一日は絶対安静だとおおかみは言う。

しかし、半端に回復したせいで目がさえ、眠気が起きにくくなった。
暇だ。

思えば、例え病気でもこれほどゆっくりしたのは久しぶりの事だろう。
今まで生き急ぎすぎたのを改めて実感する。



『役に立つ』

そう思えばこそ、俺は今まで、それこそ馬車馬の如く働いた。
勿論自分が生きるためでもある。それ以上に、『役に立つ』という命題が俺を縛り付けてきた。
いや、縛るというものではないな。

とにかく、俺は『何か』の役に立つ為に生きてきた。
それに、最近変化があった。



暇を持て余していた俺は、傍らに正座で待機するおおかみに目を向けた。
本当に、仰々しい。

「おおかみ」

俺は名を呼んだ。
おおかみはびくりとして俺を見る。
こいつは俺に呼ばれると必ずびくつく。俺のせいだ。

「何か話をしろ」

「話……です、か」

「ああ、お前の身の上を聞かせろ」

時間が余っている。
なし崩し的な今の状況で省みる点もいくつかあるだろう。
そのために、俺は尋ねる。

「お前が何で、何のために俺に仕える気なったのか。聞かせろ」

「…………はい」

おおかみは、悲しげだった。
俺も、いい加減うんざりだった。

自分の言葉の短絡さに。

「お前が話した分、俺の身の上を聞かせよう。それで、五分だ。文句はなかろう」

おおかみが目を丸くする。
俺の言葉は以外だったか。

「いい、の……です、か?」

控えめな確認。
だが、興味津々とばかりに目に光が宿っている。

「当然だ。一方的な要求など良くは無いだろう」

それは今の関係にも言える事。
一方的な主従関係などに納まる自分に嫌悪感を覚えるほどにな。

「いえ、私……は、別に――」

「なら、俺から話そう」

それこそ一方的な条件。
話すから聞かせろ、だ。
それに、聞きたそうにしているのだ。

「まあ、面白い話では無いがな」

おおかみは勢いよく首を振った。
あうあうと、何か言い訳かフォローかしようとおろおろしている。
なんだか、笑えるな。こいつは。


それで、俺は身の上を話した。


そして、俺は身の上を聞いた。



聞かなければ良かった。
そう思えたのは、ほんの些細な話のことだ。
おかげで、余計にこいつに近づきがたくなった。

俺と、一つ違いだ?

人外ではあるものの、精神面と肉体面の両方を加味した結果の数字がそれだ。

「おまえ、自分と近い年の男に仕える事をどうとか思わないのか」

というよりも、思ってほしいものだ。
しかし、おおかみは首を振る。

「いえ……私は……それでも、いい、です」

何かが違う。
そういう問題では無い。

「いいか。俺が言いたいのは……」

俺がそばにいたくない、馬鹿な理由。

「お前は『女の子』だろう。初対面だった俺の部屋に住み着く事に抵抗を感じなかったのか」

言ってて猛烈に恥しくなった。俺らしくもない。
だが、普通そうだろう。
俺は言った言葉の責任もある手前、ここに置く事を許さざる得なかった。
しかし、仕えるとかそういうことに、住み込みの必要性まであったのか?

俺の頭に引っかかっていたのは、そんな事だった。
それを気にかけていたから、俺はこいつに近付きたくなかった。
近付いてはいけない気がしたのだ。
バイトを無茶したのも、そんな理由だ。

質問は、結構効果的だったようだ。

おおかみは一気に顔を伏せ、拳を膝の上で握っている.
……良くはなかったか。

「なるほど、掟か」

以前こいつは寝言でそう言っていた。
そのとき、はっきりと落胆し事を今でも覚えているし、心境に変化は無い。
本当は住み込みまでしたくなかったのか。

俺は、今度こそ拒絶してやろうかと思った。こいつのために。

俺は口を開きかけ、

真直ぐにぶつかった視線に気付いて、

言葉を飲み込んだ。


顔を真っ赤にして、今にも感情が破裂しそうに震えた口で、

「私の、意思、です」

たどたどしくも、はっきりと答えた。




俺は、どうすればいい。


今まで知らなかった事に、対応が出来ない。


はっきりと、分かった事は、



『何か』が『誰か』なった事ぐらいだ。


「夕食の買出しに行く」

俺はそう言って立ち上がった。
今買い置きが少ない事を知っている。
気まぐれという、気を紛らわす為に、俺は逃げた。

「駄目、です」

「お前では買い物に出られんだろう」

今日最後の『駄目』に反論する。
こいつは巫女服以外持っていないのだ。
変化の都合だとかどうとか言う話だ。
耳や尾は隠せても、服装はどうにも出来ないし、俺が女物の服を持っているわけがない。

「リストを書け。行ってくる」

俺の命令口調に、おおかみはしぶしぶ頷いた。
こいつは巫女服で出歩く事に抵抗は無いようだが、俺が許さない。
周囲から好奇の目でこいつが見られると思うと……。

だから、外向きの用事は俺が出る。


体調はもう良い。
問題は無い。

あるとすれば、気落ちしやすい家の働き者の居候。

俺は玄関をあけ、出る前に振り向いた。

「今度の日曜、何故かバイトがない」

不思議な話だが、バイト先の休みが軒並み重なったのだ。
偶然も、今度ばかりは喜ばしく受け入れられる。
もっとも、この事を伝える意味が分からないおおかみは、少し不安げに俺を見る。



「買い物どころか外に出られんのでは不便だ。日曜にお前の服を買いに行く」


返事は待たなかった。
そのまま俺は部屋を後にした。





私は、暫く……ご主人様の言葉を、反芻……して、ました。

私の、服……。

頬が、熱く……なりま、す。
両手で、覆い、ました。
でも、なんだか……内側から、熱い……です。


今日、お話して……分かった事が、あります。
ご主人様は、『ご主人様』を……認めま、せん。
私が、その……下の者、みたいに、するのが……嫌、みたい、です。

私に……命令する、みたいに……話します、けど……。
それも、ご主人様の、自身の……話し方……みたい、です。
しかも、それが……ご主人様自身……嫌みたい、でし、た。

人のこと、言えない、けど。
とても、不器用な……人。


でも、わかります。


優しすぎて、拒絶……して。
不器用……すぎて、伝えられなくて。

でも、精一杯……『何か』の役に立とうと、して……。


私は、ご主人様の枕を……手に取り、ました。
ぎゅっと、胸に……抱きました。


『今度の日曜日』

顔が、熱いです。


とても、とても……うれしいです。

もっと……なれたら、いい、な。



……もっと…………仲良く。


☆おまけ☆
いなりさん特設ページがどこかにあります。 がんばって見つけてみよう!
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