おおかみさん



服を買いに行くという、約束の前準備。

これから必要になるであろう、他人との対応の仕方。
今までは外に出さなかったから教えもしなかった。
しいて教える必要もなかったが、人見知りしがちなおおかみには、心の準備として必要な事だった。

あとは、意識的に尾と耳を隠す事。
気を抜くと出てしまうのだから、俺にも注意がいるようだ。

あと必要なものは、大きめの鞄か。


日曜日までは、あまりにも短く感じた。




「窮屈ではないか?」

俺は肩にかけた鞄に声をかけた。
鞄の中では小さな挙動でごそごそと物音がし、か細い声が返る。

「大丈夫……です」

「無理はするな」

「……は、い……」

俺は溜息をついた。
無理をしない、わけがないな。

鞄の中にはおおかみがいた。
変化とやらをすれば、鞄に収まるくらいの大きさになる。
服の都合上、今までのままで伴って歩くわけには行かなかった。

本当なら、俺一人でもかまわなかったのだが。
いかんせん、重要な問題がある。

俺に、女物の服のセンスは無い。



……こういったものは本人に選ばせる方が良いだろうと思った。
鞄に詰め込んで動くのは心苦しく感じるが、これはおおかみの妥協案だ。
妥協案というのは、俺は最初、あの格好のままで一緒に歩く事に反対した。しかし、おおかみはどうしても行きたいと懇願した。それも、必死な顔で。

連れて行かぬわけではなかったのだがな。

ともあれ、服を買うまではこうしておくという事で妥協した。


外に出れば、天気は快晴。
しかし、道は車の普及で歩く人間は少なく、車ばかりが見える。
風情も何もない。


それでも、俺がいつも買い物にでる商店街付近は人通りも出てきた。
この人通りにも、こいつを慣らせておく必要があるな。
鞄の中身を察すると、人に当てられたかのように小刻みに震えている。
……不安だ。



目的地は商店街の真ん中。
この辺りでは大き目のデパートに着いた。
バイトなどで時間帯が合わず、俺もあまり寄り付かない場所だが、人が多い事は知っている。
ここで、ようやく服を買うわけだが。
さて、うまくいくものか……。


俺みたいな男が女性服売り場を歩く。
通り過ぎるだけならどうと言う事でもないが、何往復するともなれば、後ろめたい気持ちになってくる。
カバンの中身が中身なだけに、周囲の人間の動きにも気を配る。
今の動きはどう考えても不審者だろう。

鞄の隙間からおおかみに服を選ばせる。
鞄をおかしな角度に傾けて歩く男など、やはり不審人物でしかないな。
店員の気配を慎重に探り、とにかく人目につかないように動く。

休日なので人目につかないわけが無かったが。

鞄の中ではおおかみがあうあうと悩んでいた。

「え、と……その、あの……」


分かっている。ただ優柔不断なわけではない。
巫女服以外の服が珍しいのだろう。目移りぐらいは許してやれる。
もっとも、俺がいつまで持つかは……正直もう持たない。


やっとの思いで服を選んだ、ようだ。
普段着用のバリエーションで二着。そのうち一組をすばやく手に取った。
早足で、即座に移動する。
さて、ここが正念場と言えた。


試着室前。俺は即座に鞄と一組の衣服を押し込んだ。


おおかみにここで服を着せ、その格好で帰る。
今までの面倒な準備も、試着のまま購入できるのが理由でやった事だ。
思い返せば、もっと頭のいいやり方があったかもしれないがな。
今となっては考えるだけ無駄か。
不審者まがいのことをして、本当に、馬鹿な話だ。


……女性店員が俺に近付いてきた。
無理も無いか。
女性服売り場の試着室前に男が立っているのだ。女性用の衣服を持って。
不審に思って当然だ。

案の定、店員は俺のことを尋ねてきた。
明らかに俺を不審者だと思っているよう。俺もそう思う。

「連れが、試着をしている」

俺は端的にそう答えてやった。
経緯はどうであれ、事実には相違ない。

耳を澄ませば、
試着室から聞こえる衣擦れの音……。

……いろんな意味で気が気でなくなってしまった。

店員も少しは納得したようだ。


そして、

「あ、の……終わりました。……ご主人様……」

間の悪い声。


これは……俺の落ち度だろうな。
こんな簡単な事に気付かなかったのだから。
店員はことさら不審気な目を俺に向ける。
まあ、仕方ない事だ。

「分かった」

いたって、冷静に返答する。






こんな馬鹿な立場に収まっていた事を、改善しなかった自分の馬鹿さ加減。
自覚が足りなさ過ぎた。





店員は、一応のところ、試着中の人物との関連性を納得付けてこの場から去った。

「おおかみ」

「あ、はい……」

「忘れていたが、最低でも外ではご主人様と呼ぶな」

「……は、い……」

歯切れの悪い返事、妥協はしたが納得はできないと言う事か。
ご主人様という呼び方に何のこだわりがあるのか、俺には理解できない。

その後、暫く経ったが、まだおおかみは出てこない。

「おい、どうした?」

俺は試着室の中に声をかけた。
返事はいつものか細い声。
少し驚いたようで、悲鳴じみていた。

「ひぁ! え、あ、の……え、あ、うぅー……」

「わけが分からん。もう済んだんだろう、何故出てこない。」

「そ、そう……です。……けど……」

何か出れない理由があるのか?
服の大きさが合わなかったか、似合わなかったか。

「何か問題でもあったか」

俺はカーテンに対面して尋ねた。
おずおずと、回答が読まれる。


「その……恥ず、か、しい……です」



…………わけが分からん。
さして露出が高い服ではなかったはずだ。
やはり問題があったようだな。

「問題があるなら言え。違う服に替えるか?」

「い、いえ! あ、ただ、その……あの……」

気後れも度が過ぎると言うものだ。
このまま試着室に居座る気か。
一応、この後の予定もあるのだがな。
俺は溜息混じりに呟いた。

「このままでは街を回れんぞ。そのままで終わる気か?」

バサッ!

いきなり、カーテンが開いた。
この程度の物言いで開くなら問題も無かったのだろうな。


しかし、いや……。
試着室には、当たり前の話しだが、おおかみがいた。

いつもと、違う、おおかみがいた。
それも当たり前だ。


柔らかな白のトレーナー、可愛らしいチェックのスカート。
首には、暖かそうな赤いマフラー。

耳も尾も隠していて。

そこにいたの、はただの……


『女の子』だった。



「あ、の……」

か細い呟きで、俺ははっとした。
どうやら呆けていたようだ。
不安げな眼で俺を見上げるおおかみ。

「おかし、い……ですか?」

ピントがずれた問いだな。

「お前がおかしければ、俺は道化だな」

おおかみが、分からないとばかりに首を捻る。
言っている俺にもわからん。


「おかしくも恥ずかしくもない。似合っている」


月並みに、簡単にまとめた。
今度こそ意味を解したおおかみは、顔を真っ赤にしてうつむいた。

大した事を言ったわけでもないのにな。

しかし、赤くなられるとこちらも対応し難いものがあるな。
かといって、このまま立ち往生する気も無い。

「会計に行くぞ」

「え、あ、はい……」

分かっている事だが、金は払わねばならない。
本来ならば、そんな金の余裕は無いのだがな。
しかし、度を越えたバイトが功をそうし、今までに無い余裕があった。
アレが無ければ、今回の買い物も無かっただろうな。

そのことは先にもおおかみに伝えた。
遠慮は許さん、ともな。

レジに向かう俺におおかみがついてくる。
おおかみの手には、最初一緒に入れた鞄があった。
膨らんでいる。

「カバンの中身は何だ?」

「あ、えっと、その……巫女、服、です……」

……着替えたのだから当然の話か。
馬鹿な問いだったな。


レジには先ほどの店員。
先ほどまで不審気な目で見ていたのが、いまや驚きの顔だ。
何が驚きなのやら。

視線は、おおかみに向いている。
なるほど、得心した。



映えるからな。




おおかみの手には大きめの鞄、俺の手にはもう一組の服。
私服を着たおおかみを伴って歩く。
初めての街。
今までは、何を思って歩く事も無かった街だ。


この後の予定。
おおかみに、買い物に出る店を教える事。
街を、知ること。

人と接する事。



おおかみは人見知りが激しい。
故に、外にでた時、人に当てられて倒れかねない。
流石に、困る。
買い物をするなら尚さらだろう。


おおかみは買い物の手伝いも以前から申し出ていた。
行かせなかったのは、単なる俺のエゴだろう。
服が巫女装束しかなかったのだ。好奇の目に晒されるのは、耐えかねる。
それ以上に、俺にすら気後れしがちな言葉遣いだというのに、慣れぬ人間に対して正常でいられるか、心から不安だった。

だが、何かと言うと俺に繰り返す言葉があった。


『ご主人様の……、お役に、立ちたい、から……です……』



役に立ちたいという気持ち。
俺が押し付けた感情である気がする。


雨の日、もしかしたらおおかみに刷り込んでしまったのではないか。
今になって思ってしまう。

役に立つ。
その『役』以上の『役』が、おおかみにはあると思う。



商店街を歩く俺におおかみが続く。
人波に気後れしながらも、俺から離れまいと俺に服にしがみついている。
今の時間帯は人が結構いる。うかつな事で離れかねない。
そう思えるからこそ、俺は引き剥がさない。


本当にそれだけか、分からない。


よく行く店。
大型ショッピングセンターなどではない、個人経営の野菜や食肉専門店。
店主の人たちは気のいい人たちばかりだ。
俺の境遇を知ってか、よくまけてくれる。ありがたいことだ。

店主の人たちと直接会話はしなかった。
遠巻きから、その店でいつも買うなどと伝えるだけ。
店を指し、店主を指し。
おおかみは人を見るたび俺の陰に隠れる。

「大丈夫か?」

これほどまで気後れするとなると考えものだ。
買い物などできるのか不安になる。
だが、俺の問いには答えた。

「出来、ます……」

いつもよりしっかりした声。
俺の服から手を離し、拳を握って真剣に誓う。
その姿は、弱々しくない。凛々しさがあった。

大丈夫だな。

「頼んだぞ」

俺は、つい。
おおかみの頭を撫でた。

おおかみは表情を緩ませた。
それに気付いたかすぐに顔を朱に染め顔をうつむかせた。
俺もつい手を離す。
おおかみはすぐに顔を上げ、名残惜しそうに俺の顔を見たが、そのまま何も言えずにまた俺の後ろについた。

なんだろうな。

おおかみの頭をぽんぽんと叩き。
俺は帰路に着くことにした。





休日の、よく分からない散歩。
明日からはいつもどおりの余裕の無い日々。

夕暮れの今は、車も人もせわしなく往来する.
俺たちは今やその一部。


人々の喧騒、車の駆動音。
途切れ始めた車の流れ、点滅する信号。
ある親子連れ、信号が赤に変わりかけて、




その手が離れた。







車は、動き出す。
それにもまけず、子供が道路に駆け出す。


――走り出していた。


一台が、子供の目の前を駆け抜けた。

――こちら側からは奥の車線。手前の車線の車は絶えたのに。

二台目、子供に気付いたが、ブレーキが間に合わない。
大型トラック。

――――足は容易く子供に追いついた。

子供は突き飛ばされた。
突き飛ばしたものは、非力だから、今までの助走をそれに使い切った。

――故に今は、地に伏して……。


「おおかみ!」


☆おおかみさん第4話〜後編に続く〜☆
おおかみさん第4話〜後編〜
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