おおかみさん



最初に届いたのはおおかみだった。
その足の速さは凄まじく、あまりにも容易に子供に迫ったので、楽観してしまうところだった。
おおかみでは、子供と一緒に助かるだけの腕力が無かった。

今までの走力を費やして、子供『だけ』を助けた。
そしてそのまま、地に伏した。







聞こえた悲鳴は、トラックが通過する前だか後だったか……。

「大丈夫ですか!?」

俺の耳には悲鳴のような声が聞こえた。
息切れをしている。俺の口からは心音を吐き出したようにどくどくと生々しい息が出る。


両手でつかんだものを壊さぬように、しかし力いっぱい抱きしめて。




両手の中には、俺よりも小さな、か細い、儚い女の子が、ちゃんといる。

間に合ったようだ。


駆け出したのは同時だった。
おおかみのほう速く、俺のほうこそぎりぎりだった。


もっとも、状況がどうだったとか、どうでもいい。
助かったのだ。


トラックの運転手らしき男、轢かれかけた子供とその親、その他野次馬が集まってくる。

「大丈夫だ」

俺は先ほどの運転手の言葉に答えた。
答えつつ上着を脱いでおおかみにかぶせた。
一刻も早く、ここを去らねばならない。

おおかみは動転し、耳と尾を隠しきれていない。

だが、親子連れと運転手は俺らを気遣う。
両者、はお互いと俺らに罪悪感をおぼえて入るようだ。
が、相手をしている暇は無い。

「何事も無かった。もういいだろう、早く日常に帰れ。俺たちは平気だ」

俺にもおおかみに目立った外傷はない。
問題は無い。もはやいざこざも必要ない。

俺はおおかみを立ち上がらせた。
震えているが、立てはする。

その手を握り、俺は走り出した。
つられて、引きづられながらおおかみも走った。


握る手は強く、握られる手も、また強かった。




「ご主人様……」

人通りが絶えたところでおおかみが尋ねてきた。
歩調を歩きに変える。

「お怒り……です、か?」

崩れそうな声で、俺は顔を見れなかった。

「怒る理由は無い、わけではないな」

命を粗末にした。
いや、そのつもりは無いだろう。
結果としてついた形がそうだっただけ。
正確には、命を粗末にしそうになった、だろうな。

「子供を助けた事を、怒るはずは無い」

「はい……」

「だが、おかげでお前は死に掛けた」

「……は、い」


怒りたいが怒れない。怒るところがわからず、怒る理由など口に出来ない。
本当の感情は……怒りではなく、怯えだったのかもしれない。

「車には気を付けろ、ぐらいだな」

おおかみは無言で頷いた。

「あの……それ、と……」

「なんだ?」

「……服、が……」


しまった。
俺もおおかみも、荷物を手放して駆けたのだ。
それだけならまだしも、俺のほうは道路に投げ出したのだ。

「すまん。置いてきてしまったな、まだ残っているかは知らんが戻ってみよう」

来た道を戻ろうとし、俺は手を離そうとした。

しかし、手が、離れない。


「どうした?」

おおかみは、答えない。

「どうかしたのか?」

まだ、答えない。
苛立っているわけではないが、急いた口調で尋ねた。

「放せ。取りに戻れん」

「私も……、行きま、す……」

それは出来ないな。

「耳と尾がまだ隠しきれていないだろう。連れては行けんぞ」

俺は答えると、握る手に力がこもった。
何かを言いたげに、不安な目を潤ませる。

「……言ってみろ」

いくばくかのためらいと、言葉は、

「申し訳……ありません」

涙と一緒にあふれた

「な……」

俺は絶句する。
何がこいつをここまで追いつめた。
再びこいつを泣かせるような愚行を、俺はいつ取った?

その意味は、嗚咽とともに流れ出る。

「わ、わたしの……せいで……ご主人、様、が……ひぐ……危ない、目に……うぅ……」

うわごとのように繰り返す、俺への懺悔。
俺が飛び出した事、危険に晒した事を、おおかみは心底後悔している。




……それだけか?




「ごめん、な、さい……」

そして、後は崩れるように泣き出した。


分からない。

俺は、それほどおおかみに優しくしてやれているとは思わないのだが。
おおかみは、それでも俺の身を案じている。
もしかしたら、今も。


今なら思う。
もう少し優しくしてやろう。
泣き止む気配の無いおおかみの頭を撫でようとする。

俺は手を止めた。

おおかみは、頭を撫でられると安心するが、気が緩みすぎる。
話もかみ合わなくなる。



だから、


俺は、頬に触れた。



驚いた顔でおおかみは面を上げた。
泣きはらした顔は真っ赤だ。

「お互い無事だ。それ以上など望むべくも無い。泣く必要も、謝る必要もない」

もし、あえてここに伝える言葉があるなら、それは謝罪の言葉ではない。

「謝るよりも、『ありがとう』だろう?」

おおかみの目に、再び涙がにじんだ。



堰を切って泣き出し。
俺に、抱きついた。



「あ、あ、あ……ありがとう、ございます!」



役に立つと言うのは、感謝されたいという気落ちだろう。
『何か』という漠然としたものから離れ、具体的な『誰か』を思ったとき。
俺が本当に求めてやまなかったのは、『役』だけでない、この言葉、だったのか……。



俺に抱きついて泣く、『何か』ではない『誰か』。

泣き止むくらいにはつきやってやる。
それが役に立つ事かは知らない、が。

今はそうしたいと思う。







それは……昨日、の、事……でした……。

ご主人様、と、出かけた……いろんな、こと。


慣れない……事、だと、私にも感じ取れた、服の……お買い物。
もっと慣れない、わたし……のため、なんかに……一所懸命、だった……ご主人様……。

わたし、にも……、分かり、まし、た。
ご主人様も、緊張……してた、こと。

お呼びの仕方を、注意……されまし、た。
今は、他のお呼びの仕方を……考えて、ます。


もしかしたら…………お名前で、お呼びできる、かも………………。


ご一緒に、街を……回れ、まし、た。
わたし……、一人、でも……回れるようにと、ご主人様の……お心遣い。

嬉しかった、けど。


……一緒、が…………。


お部屋の、お掃除をしながら……思う、ことは。
ご主人様の、こと……ばかり。



わたしを、助けて……くれ、まし、た。

わたしを、慰めて、くれ……まし、た。



わたしに、触れて……くれました。



想う、だけで……熱い、です。


結局……あのまま、一緒に、いてくれ、まし、た。




わたし、は……はしたない、ことを……した、のに。





抱きしめて……しまった、こと。





夕刻に……ご主人様、は……学校、より、戻られまし、た。
お仕事までの、合間、とのこと……で。

いつもどおり、の……ご主人様、だけど。
もう、冷たく、ない……暖かい、ご主人……様。


助けてもらった、ときの……こと…………。


「どうした」

「ひあ!」

思わず、悲鳴を、上げて……しまい、まし、た。
ご主人様が、顔を、しかめて……いま、す。

「なんでも……ありま、せん……」

わたしの……返答に、ご主人様は、頷き……、

「無理はするな」


と、伝えて、くれまし、た。



怖かった、けど……。
ご主人様に、近付けたと……思う、昨日……。


もっと、

まだもっと……。




今日は、これから……お買い物。
ご主人様も、途中、まで……一緒……。

わたしの、服は……新しい……服。
昨日、巫女服と……もう一組は……なくした、けど……。



呼び鈴……が、鳴りまし、た。
ご主人様が、でます。


わたしは、掃除していた、物の中から……瓦版、新聞を手に取り、ました。
偶然、見つけた……記事。




車に、轢かれかけた……子供を、助けた……二人。
見出しは……。


『勇気あるカップル』


この、新聞は……ご主人様に、見られない、ように……隠しました。

胸に、抱いて……なおし、ます。
わたしの、宝物の……一つ。



「おおかみ、お前の服が届いたぞ」



玄関から、ご主人様の……声。
わたしの、巫女服を、届けて……くれた方、が……いた、みたいです。

着なれた服……新しい、服。
どちらも、好きで……。
宝物。

赤いマフラー。
これだけ、ご主人様が、選んだ……。
宝物……。



「行くぞ」



わたしの、ご主人様……。



わたしに、『役』を……くれた、人。
お役に……立ちたい、人……。



ご主人様と……一緒に、歩く……、商店街、への、道。

寒くなる、空気に……触れて。

少し、ご主人様に……近付いて。

「一月もすれば、クリスマスか」

自分だけの、呟き……みたいに、ご主人様が……。


冷たい、から……暖かい……。
わたしの、ご主人……様。


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