おおかみさん〜5話-中編〜
12月24日
言わずと知れたクリスマスイヴ。
バイトに出かけるために、扉を開き、鍵を閉めた。
部屋には誰もいない。
代わりに、俺の隣にはおおかみがいた。
何故か、おおかみも行く事になった。
事の発端は、昨晩かかってきた電話だ。
バイト先から今日の店頭販売についての人数に関する連絡があったのだ。
はっきり言えば、凶報。
もとから、クリスマスイヴに休みを取る者が多かった上に、俺とともに店頭販売に出るはずの女子が風邪をひいたのだというのだ。
店頭に立つのは三名の予定だった。
俺と、その女子と、男子の先輩が一人。
男二人でも何とでもなるのだが、女子がいないと見栄えがおとるそうだ。
どうでもいい話しだが。
問題は、その電話をおおかみが取った事だ。
俺が少しの外に出ている間にかかってきたのだ。
間が悪い事だ。
しかし、バイト先の連絡役はこれ幸いにと、おおかみに話を持ちかけた。
バイトの補充要因の話だ。
見もしない相手を面接もなしに決めてしまえる決定権があったのかは……。
店長なのだから、あったのだろうな。
おおかみは、俺がいない間にその話を了承してしまった。
俺はおおかみに対する絶対的な決定権を持っているわけでもないので容認せざるえない。
当たり前だ。
おおかみが自分で決めた事なのだからな。
分かってはいる。
俺はおおかみを束縛している。
あまりにも自然で忘れそうになるが……。
人間ではないのだから。
バイト先に着いた早々、俺たちはサンタ衣装に着替えた。
俺は長袖長ズボンで、暖もそれなりに取れる。
それでも寒い日なので堪える。
俺でも堪えるのにだ。
おおかみの衣装は半袖にスカートだった。
……知らなかった。
見た感じでは、かなり寒いだろう。
長い白のタイツを穿いているが、薄地なので防寒は期待できない。
「寒くは無いか?」
尋ねると、おおかみは首を振った。
「平気……で、す」
「本当か?」
以前は、遅帰りの俺を無理して待っていたやつだ、無理なんて簡単にする。
俺も同じだが。
おおかみはもう一度首を振る。
「わたしは、『狼』です……から」
そう……だった、な。
「そうか」
会話はそれきり。
店長に紹介を済ませに行く。
あまりの臨時登用なので、その分バイト代を多めに見てもらえるとか。
声だけで決めてしまったのだから、切羽詰っていたのかもしれないな。
「やあ、この子かい?」
「はい、そうです」
「名前は?」
店長はおおかみに尋ねた。
「おおかみ……です」
おおかみは、そのまま『おおかみ』答えた。
まあ、苗字に思えなくも無いから大丈夫だろう。
『大神』と書けば違和感は無い。
しかしだ。
「えっと、下の名前は?」
「え?」
おおかみが、聞き取れないくらい小さな声を漏らした。
下の名前も必要なのか?
おおかみは困惑気味な目で俺を見た。
無いものは答えられない。
俺も戸惑った。
名前を知る必要性はともかくだ。
聞かれて答えないのは不自然だ。
おおかみは、沈黙した。
店長が、不審そうな目でおおかみを見、
「鳴、です」
と、
俺が答えた。
さらに当惑したおおかみは俺を見上げ、何かを言う前に店長が尋ねた。
「なる、ちゃん? でいいのかな」
「え? は、はい……」
おおかみは、おっかなびっくり頷いた。
それに、店長も頷いた。
「じゃあ、鳴ちゃん。今日はよろしく。君は基本的にマスコットキャラみたいに座っていれば良いから。お客さんに、小さな声で良いから『いらっしゃいませ』と『ありがとうございます』を言えばいいよ」
「は、い」
あまりにも簡単なバイトの内容をおおかみに伝え、店長はその場を後にした。
店長が去ったのを確認して、俺は、困惑したおおかみを見た。
「名前……。いま少しの間だけ、構わんか?」
あのままではごまかしも出来なかっただろうと、俺が本人の了承もなしに勝手に決めた名だ。
便宜上、今日だけはそれで済まさねばならない。
おおかみは、首を縦に振った。
何回も振った。
「はい」
納得は、してくれたか。
まあ、一安心か。
そして小声で付け足す。
「それと、今日は絶対に『ご主人様』と呼ぶな。名前で呼べ」
おおかみは目を見開いた。
おおかみの呼び方へのこだわりはよくわからんが、納得できなくても、妥協はしてもらう。
しぶしぶか、おそるおそるか……
「わかり……まし、た。その…………」
おおかみは慎重に、丁寧に口を開いた。
「…………霧人、さん」
高崎……霧人……。
わたしの、ご主人様の……名前……。
本当、は……今まで、怖くて、呼べなかった……です。
それに、ご主人様は、『ご主人様』……だから……。
特別な、呼び方……だから……。
……でも……。
…………霧人、さん…………。
バイトは、さして問題なかった。
寒空ではあるが、俺は耐えられるし、おおかみも平気だとか。
だが、もう一人のバイトの先輩は、比較的店内に引っ込む事が多い。
サボり癖のある、軽薄な人だからな。
諦めてはいる。
結局のところ、俺とおおかみだけでほとんどの客を捌いていた。
大半が予約ケーキの受け取りばかりだったが、ここに来て直接購入する客も少なくない。
一応、先輩はそれを取りに行く係りという事だ。
馬鹿馬鹿しい。
店頭には女性が多く来る。
意外な事に、予約ではない。
どうも、通りすがりで目をつけたという客ばかりのようだ。
おおかみには十分な接客が出来ないので、俺が対応する。
不思議なくらいに多い。
横で伏目がちに俺を見るおおかみは、なんだか落ち込んでいるように見えた。
わからんな。
休憩は交代制、だが。
おおかみは、休憩に行かなかった。
「ご主じ……霧人、さんを……置いて、いけま……せん」
これでは俺も休憩できない。
無理に行かせようとも思ったが、どうも、一人は心細いようだ。
仕方なく、俺も休憩しなかった。
時間も夕刻を過ぎた。
ここからが、忙しくなる。
駆け込みのようにケーキを購入に来る会社帰りのサラリーマンや、パーティーでケーキを追加する奇特な客もいる。
一度、店頭に要していた予備のケーキの品が切れた。
先輩は、何をしているのだか戻ってきていない。
仕方ない。
「すまんが、暫く頼む。出来るか?」
俺は、端的な言葉でおおかみに尋ねた。
おおかみは、戸惑い、ためらいも見せながら、頷いた。
「はい」
歯切れのいい返事だ。
「頼む」
俺は店内に向かった。
戻ってくると、おおかみの隣には先輩が座っていた。
「お、おつかれ」
軽薄に、にやにやと、俺を見ていた。
「あ、お前店内を頼むわ。ここは俺となるちゃんでやるからさ」
……何を言っているんだ、この男は。
「先輩、ここの担当は三人です」
「あ、俺が言ってんだから良いんだよ。お前休憩してねえんだろうが、今しちゃえよ」
薄笑いのまま、俺に言う。
あきらかな、こいつの本心が見える。
「霧、人……さん……」
おおかみが、俺を見た。
助けを求めるように。
そこに、この男は。おおかみの肩に手を乗せて。
不愉快な薄笑いを浮かべながら。
「なるちゃんはマスコットだから、居てもらわないとね」
勝ち誇るように。
言った。
ふざけるな!
「帰れ」
頭に血が上った俺は、先輩相手に一言浴びせた。
「あん?」
不服そうな声で返す。
薄笑いが不愉快なモノを見る目に変わる。
だが俺は止まらない。
「お前では役が立たん。必要ない、帰れ」
今、言う事ではない。
ここは店頭販売の場所だ。問題を起こしてはいけない、の、だが。
「んだと? てめ!」
先輩は逆上した。
荒々しく席を立って、俺に詰め寄る。
俺も短慮だったが、こいつもそうだな。
「客がひく。さっさと帰ってくれ」
周囲は何事かとこちらを見始めた。
もう、完全にいさかいを目にした野次馬だ。
「てめえ!」
完全に、こいつは切れた。
俺に向かって拳を握り、殴りかかってくる。
ここで、問題を起こしては……。
だが。
飛んできた拳を、かわす。
投げ出されるように振るわれた拳によって崩れた重心を、一気に滑らせる。
手をとり、足を払って、先輩は軽く回転した。
とん、と。
軽い音とともに、地面へ先輩を押さえつけた。
先輩は、事態を把握できずに黙している。
周囲からは、奇異の目を集めていた。
さて、やってしまった……。
どうする、か?
「あ、あの!」
突然なった声に、周囲の目線はそちらに向いた。
「ケ、ケーキは……いかが、ですか!」
しどろもどろに、しかし大きな声で。
おおかみが、声を張り上げていた。
なんだそれは?
このタイミングで、それは……。
「今の何のアトラクションだい?」
野次馬の最前列にいた女性が、そんな事を言った。
「え、あ、その……」
「まあ、いいや。一つおくれ」
「あ、はい」
おおかみに、今の事態をアトラクションと勘違いした女性が注文をあげた。
今まで俺の仕事を見ていただけあって、おおかみは意外とそつなくこなして見せた。
その間に、この事態に気付いた店長が出てきて俺に近付いた。
そのまま、大げさにならないように先輩を掴みあげる。
「この場は、まあ、いいから。仕事に戻って」
「はい」
「問題起こしたみたいだから、ちょっと引いとくよ」
「すみません」
店長は迅速に先輩を連行して去った。
減給か、仕方ない。
「あんがとさん」
ちょうど会計を済ませた先の女性は、手を振って、なんだか豪快にその場を去った。
なんとか、なったか……。
おれは、表立っては何食わぬ顔で店頭販売の席に戻った。
今の騒ぎで沸いた客の対応に追われるおおかみに、僅かばかり聞こえる声で言った。
「すまんな」
「……いえ」
それだけのやりとり。
今は、仕事中だから、それだけしか言えず。
だが、ただそれだけで……分かってくれたと、思う。
☆おおかみさん第5話〜後編に続く〜☆
おおかみさん第5話〜後編〜