おおかみさん〜7話〜
今日が何の日か、数日前から何度か聞かれた。
一度はまともに答えた。
しかし、それを知らなかったようだ。
その後は、まともに答えなかった。
まあ、商店街の飾り付けを思えば、そのうち気付くかもしれないが。
2月の14日の事。
はっきり言って、ただ疲れる日でしかない。
何が良いのか、げた箱や机の中には甘ったるい貢物で一杯になっている。
その全てを毎度持ち主に返す作業は苦痛以外の何物でもない。
特に心労がきつい。
毎年やっている事なのに、よこす側が懲りない方も考え物だとは思う。
まあ、持ち主不明の物が多すぎるのも考え物だ。
意味のないことにな。
返し損ねた分だけは、仕方なく持ち帰る。
欲しがるやつもいたが、やはり自分が受け取った分は自分で何とかするのが礼儀、だと思う。
馬鹿な話だがな。
結局、今日もバイトで一日を過ごす。
それがやはり、俺らしい。
食い扶持一人分、家計が苦しいのだからな。
今日が、何の日か……分かったのは……今日に、なってから、でした……。
バレンタインデー……。
その、今日に、何をするのか……。
何を、するべきなのか……。
もう、決まったような……ものでし、た。
お買い物の、途中、でした……けど。
すぐに、準備を……必要なもの、を、探しまし……た。
お買い物の、お金じゃ、なくて……。
自分の、お金……。
霧人さんの……ご主人様の、お手伝いを、した、時に……もらった、お金で。
このお金も、ご主人様に、あげようと……しました、けど……。
なぜか……受け取って、もらえ、なくて……。
わたしの……自由に、しろと、言われました……けど……。
どうしたら、いいか……わから、なくて……。
そんな折に、今日……みたいな、日が……。
やっぱり、その………。
違う、形に、しても……受け取って、もらう、ほうが……。
わたしは……うれしい、です……から……。
今日が、特別な、日……なら、なおさら……です。
今度はチョコレートの店頭販売だ。
流石に学校が始まっているので、クリスマスの時のように一日するわけにもいかない。
交代要員として、学校が終わって即向かった。
しかしながら、クリスマスの時のように売れ行きが良いとはいえなかった。
何せ今日は、バレンタインデーの当日。
今日買いに来る者は、普通に考えても遅いだろう。
まあ、よく店頭販売を行う店だからな。
そのたびに店に立ち並ぶ俺達は、体のいい見世物のようだった。
馬鹿な話だ。
この店頭販売。
月日のイベント、クリスマスや正月、バレタインデーにホワイトデーなどが絡むと日付変更まで立つことになる。
ここの商店街は、意外に遅くまでやっている店が多いため、そのような時間配分をしてもやっていけるようだ。
俺は高校生で労働基準法にひっかかるのだが、まあ、見つかったためしは無い。
そんな事を気にしていられるほど裕福でない事は、高校教師には知れ渡ったものだからな。
むしろ、応援してくれる意気で買っていく者もいる。
遺憾だが、ありがたい。
まあ、その関係上か。
今日は、今日の内には帰れない。
そのことは、伝えていない。
チョコレートは、手作り、の方が……。
もらう人、に……好まれる、と、知りまし……た。
流石に、カカオから、作るわけにも……いきません、し。
自作用の、チョコから、はじめようと……思い、ます。
手抜き、に……なるのじゃ、ないかと、思い……ました、けど。
本格的、に、作るのは……個人じゃ、少し、無理、みたい……です。
買って、きた……作り方の……本を、見ながら。
チョコを、溶かし……ます。
溶かして……型に……流し、こんで。
冷やす、だけ。
最初、直接……鍋に、入れて……火を、かけそうに、なって……。
危ない、ところ、でし……た。
料理は、好き、です、けど……。
お菓子、作り……は……、初めて、です。
難しい、です、けど……。
ご主人様、に……渡す、こと、を……考える、と……。
不安、です、けど……、なんだか、気分が、ふわふわ……しま、す。
……ご主人様……受け取って……くれる、で、しょうか……。
もとは、ご主人様、が……受け取って、くれ、なかった……お金、ですし。
どう、なのか……考えると……不安、に…………。
首を、ぶんぶん振って……不安を、ごまかし、まし、た。
大丈夫。
大丈、夫。
……多分。
とにかく、今、は……ちゃんと、作らない、と。
溶かした、チョコを、型に……流しこんで、冷やす、だけ、だから。
あとは、型に……流し、て……。
型?
型が、ありません。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
もう、チョコは、溶かした、し。
お料理が、不得手な、ご主人様は、もっていない、でしょう。
……どうしよう……。
……すぐに、買って、きます。
わたしは、そのまま、部屋から、飛び出しました。
店頭販売は、人がいなければつまらない事この上ない。
まったくでは無いが、まばらで間隔が結構ある。
流石にクリスマスと比べるのは間違いか。
そもそも、クリスマスの時だって当日にケーキを買うようでは間に合わぬのでは無いか。
そう思えば、バレンタインに客が『まだ』くるのはマシなのだろうな。
バレンタインセール。
もう、今日来る客は単なるチョコ好きだけだろう。
そんなつまらない思索をしている時だった。
おおかみが、店頭販売の目の前を走り過ぎた。
しかも、巫女服。
周囲は好奇の目で見ている。当然だ。
しかし、それ以上に気になったのは、おおかみの真剣な顔。
何かあったのか?
言い得ぬ不安にかられはじめた。
今この店頭販売に縫い付けられている事が疎ましくなった。
もはや、落ち着いてはいられなかった。
その場を人に任せ、俺は後を追った。
おおかみが向かったのは、商店街中心のデパートだった。
駆け込むおおかみを追うのは一苦労だ。
なにせ、もとが狼なだけに足が尋常じゃなく速い。
中に入ったら既に見失っていた。
しかし、周囲の人間が首をかしげながら同じ方向を見るあたり、見当はつく。
向かってみれば、混乱が俺に拍車をかけた。
……台所用品売り場?
そんな事ではあそこまで焦った顔をする必要は無いだろう。
しかし、奇異の視線は台所売り場からレジまでの道筋を照らすように注がれている。
もう出たのか。
ともあれ、何か焦るような事態が発生した事は確かだろう。
鍋を焦がしたか?
包丁が欠けたか?
その程度の事しか思いつか無いが、それでも急いてまで買いに来るほどのことでは無い。
まあ、しかし。
おおかみ、だからな。
変に責任を感じてそれに対処しようとして孤軍奮闘、ということもありえる。
もしかしたら、俺が想像し得ないような事態が台所用品関係で起こったのか。
考えれば考えるほど馬鹿らしくなるが、確かめなければ不安が拭えない。
帰ってみるか。
帰り、ついたら……。
チョコが、少し、固まって、ました……。
鍋の、縁の部分……は、ほとんど、固まって、剥がれませ、ん。
なんとか、温め、直し……て。
もう、一度……、挑戦。
少し、いびつな、チョコに……なりそう、です……。
……どうしよう。
せっかく、ご主人様の、ため……に、作った、のに。
ちょっと、駄目に、なっちゃって……。
でも、最後まで、ちゃんと……作らない、と。
ほとんど、取れなかった、です……、ので。
小さい、平たい、形、に……なりそう、です。
それを、冷蔵庫に……直した、とき。
玄関が、開きまし、た。
「おおかみ」
玄関、から……ご主人様の、声、が……。
わたし、は……、急いで、迎い、まし……た。
ご主人様は、何故か、息が……あがって、いまし、た。
わたしが、尋ねようと、した、とき……ご主人様、の方、が……先に尋ね、て、きました。
「巫女服を着て慌てていたようだが、何かあったのか」
どきり、と、しました。
「い、いいえ。なんでも……ありま、せん」
「本当か?」
ご主人様、が……真剣な、顔で、尋ね……ます。
でも、答え、られま……せん。
失敗、した、こと……なん、て。
「本当に何も――」
「本当に、何でも、ありま……………せ、ん……」
少し、語気が……荒く、なって……しまい、まし、た。
ご主人様、は、目を……見開いて、ました。
「……そうか」
ふっ、と……ため息、みたい、に……小さく、もらし、て。
振り向い、て……しまい、まし、た。
「分かった。聞きたい事はそれだけだ」
「あ……」
わたしが、弁解の、言葉を……口にする、前、に。
ご主人様、は……行って、しまい、まし……た。
……なんで、こんな事に、なったの、で、しょう……。
ただ、よろこんで、もらい……たかった、のに……。
怒った、かも、しれま……せん。
もしか、したら……もう……。
もう、どうしたら……いいか。
わかり、ま、せん……。
でも……なんとか、したい、です。
過干渉が過ぎた。
そう思うべきだろう。
あいつにはあいつのプライバシーがあり、俺に知られたくないことぐらいあるはずだ。
それぐらいは察してやるべきだったな。
二月の風邪は寒々としていて、なれた体にも堪える。
今日は、今は特にな。
部屋に仕切りでも設けるか。
俺は別に、過保護にするようなプライバシーは持ち合わせていないが。
あいつには、女の子であるあいつには、それ位は必要だろうな。
帰りにカーテンでも買って帰るか。
それとも、あいつに相談してからにするか。
少し、憂鬱な気分だ。
一応バイトには戻った。
店長に謝罪し、今回は本当に天引きされた。
当然だがな。
バイトは最後までいた。
日付変更までいるのは寒い上に無駄。
一人ただ立っているのは、以前の立った時を考えてさらに寒々とした。
なにをしているのだ、俺は……。
定時。というか日付変更。
俺は若干売れ残ったチョコレートを手土産に帰宅した。
帰る前に店長に、また、おおかみを連れてきてくれないかと頼まれた。
確約できないので、曖昧に頷いた。
俺が、決めることではないからな。
深夜一時。
普段ならすでに就寝時間だ。無理した時期ならまだ帰り着いてない時刻でもある。
……そういえば、帰りが遅くなることを伝え損ねたな。
待たずに寝ていてくれていると、わりと助かるのだが。
願うだけ無意味だろうな。
帰り着けば、やはり、おおかみは起きていた。
ちゃぶ台の前に正座。
そこには、冷め切った俺の夕食。
最近は、帰り着いたときに出迎えてくれのだが、今日はうなだれたまま座りっぱなしだった。
俺のせいだろう。
おおかみが顔を上げ、目が合った。
「すまなかった」
「え?」
俺は反射的に頭を下げていた。
おおかみが驚いた声をあげる。
「な、ど、どうしたの……です、か?」
「いや、俺の考えが至らなさ過ぎたという事だ」
「どう、いう……ことです、か?」
そこで、部屋に仕切りをする事を話そうとした。
しかし、今更になって部屋に充満する匂いに気付いた。
「この……匂い、は……」
嗅覚は人並みだが、ほとんど密閉空間に充満した甘ったるい匂いは、いやでも俺にその存在を気付かさせた。
俺の反応に気付いて、おおかみが小さく声をもらし、口を覆った。
おろおろと挙動不審な動きをはじめ、何か悩んだ挙句、冷蔵庫から何かを持ってきた。
何かといっても、想像に難くないがな。
「あの……、これ、なんです……けど」
両手で添えて、おっかなびっくり持ってきたのは。
まだ型に流し込まれたままのチョコレートだった。
「あの、まだ、固まりきって……なくて……。飾り、つけ、も……出来て、ない、です、し、その……」
「……俺に、か?」
おおかみはびくりと顔を上げ、顔を真っ赤にしてからうつむいた。
「…………………………………はい」
なんだか、胸が熱くなった。
いままで馬鹿のように気を回していた事など、いまやどうでもいい気分だ。
あの時の事は、まさか、これの事だったのか?
「受け取って、もらえ、ます……か?」
「あ、ああ」
返事が曖昧になってしまった。
恐る恐る、俺はチョコレートを受け取った。
そのまま、食べてみた。
……………少し、苦い。
「あ、あの、ご主人様……どうしました、か?」
『どうですか?』では無く『どうしましたか?』か。
渋面作った事は隠し切れなかったようだ。
「自分では、食べてみたか?」
おおかみは首を振った。
俺はチョコを少し割って、おおかみに手渡した。
おおかみはチョコを少しかじって、苦い顔をした。
「あ……」
「なんにせよ、要精進、と言ったところだな」
これをうまいと言ってごまかす事もできたが、ためにはならない。
ならばいっそ、本当の事を言ってしまった方がこいつの為だ。
「何を焦っていたのかは知らないが、お前がしくじるとは思わなかった」
おおかみは、しゅんとうなだれた。
悪態つくような言い方をしたのだから、気の小さいこいつなら当然の反応だな。
まあ、続きはある。
「一ヶ月待っていろ。手本を見せてやる」
「え?」
きょとんとしている。当然だろう。
俺とは結びつかぬだろからな。
菓子作り。
昔、まだ少しマシだった時には趣味のように実践していた。
料理は出来ないくせに、何故かお菓子作りは得意という。
馬鹿な話しだがな。
「暇があまり無いからな、三倍は期待するな」
ホワイトデーは三倍返しが基本だとか。
しかし、このチョコの何を基準として三倍かは、悩みどころだな。
もっとも、苦の無い悩みだが。
おおかみが口を開いて、恐らくは遠慮の言葉でも口にしようとしているのだろう。
そうはいかない。
「一方的なことは好きではない。以前言った事がなかったか?」
おおかみは小さく頷いた。
「そういうことだ。諦めて一ヶ月待て」
受け取らせる事を強制するとは、俺も悪辣な人間になったものだ。
しかし、いつまでもこいつに気の小さい人物でいてもらうには、世間は寒すぎる。
少しでも、慣れてもらえれば……そんな含みがあったか、自覚は無い。
「持って帰ったチョコは手土産だ。好きに食べろ。今日の余り物だ」
「いいの、です、か?」
「遠慮はいらん」
俺はちゃぶ台に付いて、冷めた夕食をさっとかきこんだ。
小さく声が漏れるのを聞いたが、まあ、気にはしない。
「ごちそうさま」
「は、はい……」
そのまま就寝することにしよう。
日付も回っている。
明日に差し支えるようでは、以前の二の舞になりかねない。
「もう、寝る」
「あ……は、い」
いま少し、おおかみは曖昧な応対しかできていない。
俺の態度に気になるところでもあったか。
態度に問題があるのは今に始まった事ではないがな。
反省すべき点ではあるが。
俺は、おおかみに背を受けて横たわった。
ふと、一つ尋ねた。
いろいろ思うところはあるが、尋ねるだけ無粋な気もするが。
一応、聞いてみた。
「俺は、干渉しすぎるか?」
女々しいとは思うが、まだ気にはしていた。
こいつには隠し事を平気でするくせに、こいつのは気になって仕方が無い。
まったく、領分の狭い事だがな。
おおかみは、か細い声で答えた。
「いいえ、その、そうでも……ありま、せん……」
……その答えたかを、俺はどう判断すればいい?
気が弱いやつの返事は、迷惑か否かが判別できない。
しかし、もう一言加わった。
「でも、わたしに……聞く、なら……。その度、に……わたし、も……尋ねて……良いです、か?」
……驚いたな。
こいつが俺にそういうことを言うとはな。
まあ、なんにせよ。この傾向は好むところだ。
「当然だ」
「で、では……」
早速か、何か聞きたい事でもあったか。
一呼吸。
二呼吸。
間を少し取って。
いった事といえば。
「わたしは、ご主人様の、その……」
また一呼吸。
二呼吸。
そして……。
「ご主人様の気持ちを、絶対に、裏切りません」
まだ、寝るべきではなかった。
背を向けるべきではなかった。
おおかみの目を見るべきだった。
質問ではなく、おおかみはただ一言主張した。
絶対に破らぬことを表す時に出る、強い声で。
この声に、俺はどう答えられる?
俺は上体を起こして、おおかみに目を向けた。
おおかみと視線を合わせ、真っ直ぐに互いを見た。
「どんな気持ちでもか? 鳴」
質問に質問でかえす、卑怯な手をとった。
そして、分かっていてもごまかす気持ちが、その中にあると自身でも疑っている。
結論を聞いて、俺はどう出る気だ?
おおかみ、鳴は少し目を見開き、そして据えて答えた。
「はい。霧人さん」
しばし、緊張した空気が漂った。
ぴしゃりと姿勢を正しているようで、鳴は少し震えていた。
まったく、早計だ。
「無理に結論など出さなくていい。まだじっくり考えろ」
俺は手を伸ばして、鳴の頭をぽんぽんと叩いた。
「でも……」
「気持ちなど、一時の感情だということもある。そのとき確かだと思っていても、その確信も幻だったら、後で悲しい目にあう」
経験則ではないが、早計過ぎる結論は悲劇にしかならない。
だから俺は、悲劇にしないために、流されない。
早計だったのは俺も同じだ。
だが、
「まあ、俺もおまえを裏切る事は無い」
しばらく、ゆっくりと頭を撫でてる。
俺が手を離すと、いつものように名残惜しそうな顔で見るが、俺はすぐに寝転がった。
「おやすみ」
「お、おやすみ、なさい……ませ」
名残惜しいのは誰だ。
どんな感情が渦巻いているのか、経験が無いから分からない。
いや、経験が無い事を言い訳にして、気づかない振りをしているのか、俺は。
役に立つ立たぬが、俺の命題だったはずだ。
それなのに、今は、全く意味をなさない。
有るか無いか。
ただ、それだけ。
YESかNOか、の単純で難しい二択。
肯定するには根拠が曖昧で、論で埋めるてはそれをひねり回す。
幻を抱いているのは、俺のほうか。
命題が俺から離れた時点で答えなど出ているはずなのに。
結論が、出せない。
全く、馬鹿な話。
結論は……まだ、早い。
そう、なの……でしょう、か?
確かに、そう、かも……しれま、せん。
つかみ所、の、ない……ふわふわした、気持ち。
拒絶、され、なかった……時、の、安心した、気持ち。
一緒に、沸きあがった、ふわふわ……。
不安、だけ、ど……。
怖い、けど……。
これが、幻、なら…………。
本当に、するのが……………。
……『女の子』、です。
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