おおかみさん〜8話-後編-〜






ホワイトデーは、店頭販売の日だ。
人数は若干多めに確保しておくのが鉄則、だと店長は以前言っていたと記憶している。

故に、か。



明らかに人数が足りていなかった。
店頭に人を出している余裕などはない。

店内担当ですでに正式スタッフの人数を使いきっている感が否めない。
それも、俺以外のバイトが一人とは……。

バイトはほとんどが女性スタッフであり、男は先日一人やめたので俺くらいなものだ。
やむなく店内を俺が担当し、もう一人来ていた女性スタッフが店頭を担当した。

外面を飾るには女性に限る、とある。

来た時にただ一人いた女性バイト。
深山と言ったか。
年下だが、日もそこそこ。勤務態度は真面目で、バイトの中では見込みがある方だ。
俺を見るたびに、すまなさそうな顔をしている。

以前、クリスマスの時に店頭販売を風邪で休んだ事があるからか。
確たる理由があるのだから、気に病むことでもないというのに。
時折そういう目で見られている。


しかし、だ。
二人という人数は、俺には効果的だったと言えるな。

忙しい。

おかげで、余計な事を考えずに済む。




「ご苦労様。ありがとう」

定時。
店頭販売なので、つまりは零時に店長は告げた。

「おかげで助かったよ。今日は大目に包んでおいたから」

店頭販売、ではなかったが。
相応の働きだったと言う事で手当てがつくことになった。
ありがたくは、ある。

「しかしごめんね。今日みたいな日に休み取ってるのに呼び出しちゃって」

「いえ、かまいません」

選択肢はあったのだ。
選んだのは俺だ。謝罪を受ける事もない。

約束は、約束だったが。
それを反故にして、己の命題を選んだのは、俺自身だ。

省みる事もない。
そのはずだ。


そのはず、だが……。


「……すいません。頼みがあります」

俺が急に真面目な声で話しかけたので、店長は表情を引き締めた。

「なんだい?」


……。
…………。
………………。


俺の頼みは、無茶だった。
店長が頷く義理は、ない、が。

「わかった。いいよ、それくらい」

「ありがとうございます」

店長は承諾してくれたようだ。
ありがたい、本当に。

「ただし、条件があるよ」

「なんですか?」

俺が尋ねた時に、部屋の扉が開いた。
そこには、もう一人のバイト女子がいた。

「深山……」

店長は、にっと笑って一言告げた。

「彼女を送って行ってくれないかい?」






「今日はすいません」

「いや」

深山は、いつもどおりすまなさそうな顔で俺に謝った。
大したことではない。
謝られる事もないというのに。

俺の隣を歩く深山は、俺よりも格段に背が低い。
髪は短めに切っているが、スポーツ感はなく、大人しめだ。

零時を回った時間に、しかも学生服で歩かせるには危険極まりない。
店長の条件も、頷けはする。

もっとも、こんな時間になる前に帰らせるべきだっただろう。
人数不足でも。

「すみません、先輩」

「いい、と言ったが」

何度も謝る意味はない。
俺は、謝られる事をされてはいないのだからな。


しかし、この気の小ささ。

あいつと、重なる。


馬鹿な話しだ。


深山は、俺のぞんざいな言葉の後にまだ続いた。

「違うんです。わたしが謝ってるのは、その……」

「違う?」

「はい。前から謝ろうと思ってたんです。クリスマスのシフトの事なんですけど」

「その事か」

まさか本当に気にしているとはな。

「気にするな。終わったことだ。事なきを得ている」

必要以上に気に留めることもない。
それに、何度も思うが俺に謝る事ではない。

「そうじゃ、ないんです。先輩、私……。あの日、風邪じゃなかったんです」

「……なに?」

俺は深山を反射的に見下ろした。
深山はびくりとした。
怯えたのか。

「どういうことだ」

俺の言葉、高圧的だったかもしれん。
深山は顔を伏せた。

俺は前を向き、小さく溜息を吐いた。

いい。
気にする事は、ない。

「いや。もういい事だ。あの日、もう一人のやつは軽薄な愚か者だった。一緒にやらずに正解だったな。あいつはもういないし、俺も気にはせん」

皮肉か冗談か、判別のつかぬ言葉を返した。
本来なら、叱責するべきだっただろうな。
だが、この気の小ささを見ると、出来なかった。

馬鹿な話しだ。


もう一度、深山を見た。
深山は、驚いたように目を見開いていた。

「知ってたん、ですか?」

「何がだ?」

「その、私があの先輩を避けて病欠した事を、です」

……そうだったのか。
しかし、意外ではないな。

あの男の評判は悪かったからな。
その理由には正当性があるというものだ。

「なるほど。ならば余計に気にするな」

あの男が理由でやめたバイトがいたという話も聞いた事がある。
真実は分からないが、可能性は高い。そういう男だった。
俺の部屋の鍵を盗んでいたのも、あいつだろう。

「また、真面目に働けばいい。役に立つ事を期待する」

「は、はい。 ありがとうございます」

深山は大きな動作で頭を下げた。
同じ大きな動作で頭を上げる。

「ああ」

それで、この一件は終わり。そう思った。
また深山の家路に付き合って歩き出した時に、深山は俺に尋ねてきた。

「ところで先輩。聞きたい事があるんです、けど」

「なんだ?」

「先輩、彼女がいるん、ですか?」

「は?」

間の抜けた声を出したのが自分でも分かった。

「なんの話しだ」

「あ、いえ、その、違うんです。私が休んだ時に、先輩の彼女が補助に入ったって聞いた、もので、その……」

「……勘違いだ」

一体誰から聞いた話しだ。
意外と店長辺りかも知れんな。
馬鹿な話し、だな。

「その、先輩の彼女、って言われた人にも、謝りたいんですけど」

「伝えておこう」

あいつは俺よりも気にしていないだろうな。電話を受けた本人でもある。
むしろ、謝罪の言葉を伝えただけで混乱するかもしれん。
気の小ささのあまり、謝罪を返しかねない、か。
考えすぎだな。

「伝えるのは、謝罪ではなく感謝の言葉で良いな」

そのほうが、気分がいい。
役に立ったと、そう思える。

「え、あ、そうです、ね」

深山も納得した。
小さく微笑んで、小さく頷いた。

また、歩き出す。

「その人。彼女、じゃ、ないんですよね。親戚ですか?」

「そんなところだ」

全く違うが、真実を教える事もない。
血のつながりどころか、存在自体が違うのだ。

信じはしないだろうし、信じても快くなかろう。

俺が伝えずとも、あいつが世慣れしたなら、そのとき本人同士で伝え合えばいい。

そういうものだろう。



「ありがとう、ございました。先輩」

深山の足が止まった。
どうやら着いたらしい。

「いや。かまわん。しかし、次は遅くまで残らない事だ。」

「それは、先輩も、ですよ」

確かに、その通りだな。

「俺は例外だ」

普通に働いていてはまかない切れぬ部分もある。
俺自身はもちろん、周囲にも割り切ってもらいたいものだ。

深山は小さく笑った。

「わかりました。先輩。じゃあ、おやすみなさい、です」

「ああ」

深山が家に入るまでを見送り、俺は踵を返した。


しかし、下らぬ妄念を思い出したのは、馬鹿な話か。









帰り着いたのは、もはや朝方か。

部屋の中では、おおかみが寝ていた。
確かに俺の言葉どおり、寝ていた。

命令口調の文体で書けば、従うと思った。
卑怯だと思ったがな。


しかし、おおかみは机に突っ伏して寝ていた。

どうも、寝ながら待っていた、と言う風情だ。
普段は寝る時、犬の……狼の姿になってから眠るのだが、そのままだ。

俺が帰ってきたことに気付かず、まだ寝息を立てている。

安らか、とは言いがたい。
僅かに苦が混じる、陰のある顔。

涙の後が、ある。


「馬鹿な、話しだ」


どこまでも、馬鹿だな。
俺は。


言葉足らずを悔いた日もあったというのにな。


こいつが何にショックを受けたのか、俺にはわからない。
だが、こいつが悲しい思いをしたのは俺に原因があるだろう。

自分で言うのもおかしいが、こいつの中を占める割合が高いのは、俺の事だと思う。
俺を主人と呼ぶ事に原因があるだろうな。

そのおかげで、そのせいで俺の一挙手一投足がこいつに多大な影響を与えている。

馬鹿な話しだ。


主従の関係など、捨ててもらっても構わないのに。



机に突っ伏すおおかみを、俺は布団に運んだ。

おおかみはいつも狼の姿で寝る時、大き目のタオルに絡まって寝ている。
今は狼の姿ではなく、人型。
タオルでは布が足りない。
相も変わらず巫女服だが、気にはすまい。

敷いた布団に横たえて。俺はその傍らに座った。
いろいろ考える事もあるが、謝罪の意を込めて、頭でも撫でてやろうかと思う。
寝てはいるがな。

俺が手を伸ばした時、


「……ご主人様……」


おおかみが急に口を開いた。

反射的に手を引っ込めた。

「起きていたのか」

俺は尋ねた。だが、違った。

「………………………………人間、じゃ……ないん、です」

寝言……か?

俺がいる事に気付かずに、自然に言葉を出す。
以前もあったことだ。

しかし、ただの寝言ではない。
こいつの寝言は、心中を吐露する。

「人間ではない、か」

知っている。
それが一体どうしたのか。

俺はおおかみの口から流れ出る、不安を、余すことなく聞き取った。

……。
…………。

聞き終えたところで、おおかみはまた寝息を立て始めた。


「怖い、か……」


迂闊、だったのか。俺は。
もとより住む世界が違う者。不安や恐怖はつき物だ。
理解していたつもり、だが。

それがよもや、まだ引きずっていようとは。
いや、不安を肥大させていたとは。

慣れていく上での違和が、形になるのが怖いのか。
確かに、分かる。


捨て犬のように、主人を待ち続けた。
あの日、だな。

俺の言葉に従ったのも、俺しか話しかけなかっただけかもしれない。
俺の言葉に、誘導されただけなのか。あの決意は。

怖くて、来たのか。




ならば俺は、強要すべきでは……望むべきではなかったのか。




「違うな」



俺の望みの姿に、仕立て上げるわけではない。
こいつが馬鹿を見ないように、鍛えるのだ。

恐ろしいかもしれん。
不安が付きまとって、心静かにできないかもしれん。


だが……。


「『役』が立つ者が。生い立ちなどで縛られていいものか」


くだらん妄念などではない。

俺は、この……。
健気で弱い存在を、強くせねばならない。
同時に、守らねばならない。

くだらぬ妄念などでは、ないはずだ。
俺の感情のありようなど、今は抱くべきではない。

それが、俺の『役』。

「強く、なれ。手伝いはしてやる。」

おおかみに、人として応じ、接する。
その程度かもしれんが、出来うる限りだ。

俺でも、役には、立てるだろう。





しかし、だ。


「寝ている時くらいは、安らかにな」

俺はおおかみの頭を撫でた。

すると、おおかみの表情はみるみる安らかになっていった。
おおかみに寝顔に陰りが無くなるまで、続けた。










朝、起きたら……。
布団で、寝てまし……た。

ご主人様、が、運んで……くれた、みたい、です。
でも、ご主人様の、姿は、もう……無かったです。

「ご主人様……。霧人、さん……」

まだ少し、引きずってる、みたい、です。
くよくよ、してても……仕方、ない、のに……。

起き上がろうと、して……枕元に、何か、あるのに……気付き、まし、た。

「これ、は……」

可愛い、ピンクの包みが、ありまし、た。
それが、なにか……すぐに、わかりまし、た。

すぐに、手にとって、それを……。
ぎゅっと、小さく……抱きしめ、まし、た。

「ご主人様、に、また、……無茶、な、こと……させちゃった、かも……」

罪悪感、が、生まれました。

すぐに、わたしは、首を、振りまし……た。


「……がんばり、ます」


無茶、させたら、駄目……なん、です。
ご主人様が、がんばり、過ぎない、ように……しないと……。

いけないんです。


だから、わたし、は……。

「強く、なります。霧人、さん……」

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