おおかみさん〜9話〜






 下校し、バイトを終えて疲労した俺を迎えたのは。

 おおかみと、いささか豪勢な夕食だった。


「なんだ、これは?」


 見れば分かることではない。
 何のために、ということだが。


「あ、その、これは……」

 おおかみはしどろもどろにしか答えない。
 これでは要領を得ん。

「うちにはこれほどの贅沢をする余裕があるのか?」

 びくりとおおかみが肩を震わせた。
 俺の物言いが恐ろしかったのか。

 俺の言い方が厳しかったかもしれん。
 いや、しかしだ。

 もはや食事を主とする財政事情は半ばおおかみに渡しているようなものだ。
 所在ははっきりさせておく必要がある。

「質問の仕方を変えよう。いつもより食事が豪勢だが、うちにはまかなえる余裕があるのか?」

 あるなら、いい。
 食事療法、とはいわないが。おおかみがきてからは体調が改善されたのは事実なのだからな。
 これも、無為ではないと、思いたい。

「大丈夫、です……」

「ならばいい」

 食卓の前に腰を下ろす。
 おおかみは、何故かきょとんした顔で俺を見ていた。

「なんだ?」

「あ、いえ、その……」

 なにかあるらしい。
 俺がすんなり受け入れた事が予想外だったか。
 
「言ってみろ。何か話す事があるのだろう」

 こちらから促せば、話しやすくなる。
 おおかみは引っ込み思案だからな。こちらから指針を示せば行動が軽くなる。

「は、はい」

 案の定、おおかみはいつもに比べればすらすらと事情を話した。



「なるほど。巫女のバイトか……」

 もう少し込み入った内容の仕事もする変わりに給金も増やしてもらえるという話だ。

「お前はそれでいいのか?」

「はい……。その方、が、……生活も、助かり……ます、し……」

 ふむ。
 不足、とは思えないがな。夕食のほどを考えればつながりが見えない。
 ともすれば、もうすこし潤いのある生活が、という意味だろうか。

 もとよりおおかみには時間がある。その時間を生活改善のために当てたところで問題は無い。
 そしてそれ自体をおおかみの判断で行うというのなら、それはよいことだろう。

「わかった。苦労をかけるな」

 おおかみは小さく首を振る。

「いい、え。大丈夫……です」

「そうか」

 俺は一つ頷き、おおかみの頭に手を伸ばし、なでた。

「がんばれ」

 そう一言、告げるだけの事がひどく照れくさく感じた。
 撫でられたおおかみも、眼を丸くしていた。

 馬鹿な話だ。

 






 本当の、事……は、口から……出ません、でし、た。

 生活が、助かる……のは、確かに……本当、です、けど……。
 少し、でも……、余裕が、あれば、いいと……思い、ます。

 そうで、ない、と……、ご主人様、に、また……。
 無理を、させて、しまう……から……。

 それに、今日の、料理の……こと……。

 ホワイトデー、の……、無理させて、しまった……。
 お返しの、……お礼、の……つもり、だった、のに……。

 言わなく、て……。

 ご主人、様……。


 がんばる、と、決めたん、です……。

 でも……。

 ご主人様、が、……最近、少し、ずつ……。
 優しく、なって、きて……。

 わたし、は……、それ、に……。
 多分、です、けど……。

 甘えて、しまって、ます……。


 がんばら、ないと……いけない、のに……。

 わたしは、わたしは……、がんばらないと、いけない、のに……。


 人間、じゃない分……。

 がんばらないと……。


 頭を、少し、さすって……みま、す。

 なでられ、て……、がんばれ、と……。
 ……言われ、まし……た。

 とても、うれしい、です。

 うれしい、です。







 けど、





 なにか
 ……違い、ます。


 











 おおかみが、がんばろうとしている。
 俺がおおかみを鍛えると決心したのと、期せずして心がけるか。
 それに対して励ましの言葉をかける程度で、俺は義務を果たしたといえるか。

 他愛もない事ではあるが、おおかみの事を気にかけずにはいられなくなっている。
 慣れる事で、思考が裂かれる事も少なくなるだろうと思っていたが。
 そうでもなかった。

 思考を割く時間は増える一方にある。
 おおかみと部屋にいるときはもちろん、学校でも思案し、今もバイト中であるのに気が向いてしまっている。

 馬鹿な話だ。




 

「先輩?」

「ん?」

 声をかけてきたのは、深山だった。
 先日より、俺によく話しかけるようになって来ている。
 黙っていた事を話してわだかまりが消えたせいもあるだろう。

「難しい顔をしてますよ」

「……どんな顔だ、それは……」

 話しかける話題に必要性がなくなってしまってきたのも、わだかまりが消えた反動か。
 それとも、慣れか。

「そうですね。眉間にしわがよりすぎですよ。お客様に、しかめっ面に見られてしまいますよ」

 悪いこととは思わない。
 深山は仕事をしっかりとこなすし、要領も良い。
 多少、引っ込み思案なところが気にかかるが、許容範囲でもある。慣れたであろう俺を通じて、他からの必要な事項、情報を取得しているから改善されつつもある。

 ただ、慣れのせいか、余計な話も増えてきた。

「……私語は控えろ」

 深山に対する口癖のように、定着してきた言葉だ。
 こう言われれば大人しくなる。

「……すいません」

 端的な物言いしか出来ぬせいで、俺の口調はきついものになってしまうようだ。
 少し俯いた深山を見ていると、頭に三角形の耳が垂れているように錯覚してしまう。
 俺は、何を見ている?


 首を振る。くだらない。
 馬鹿な話だ。



「どうしたんですか? 先輩」

「なんでもない」

 バイト中に考える事ではない。
 思考の一つ一つ、割く時間と場所を弁えねばならない。
 集中せねば。

「深山」

「は、はい」

「オーダーがきている。テーブルに持っていけ」

「はい!」

「それと」

「え、はい?」

「眉間にしわがよったら指摘してくれ」

「え、あ、はい!」

 こちら客商売。表情が店の顔になる。
 俺も、少しはしかめっ面をやめてみるか。


 肩を落とすような姿を見るのも疲れるから、と、俺は結論付ける。
 馬鹿な話だがな。



 そういえば。
 今日、あいつは帰りが遅くなると言っていた。
 俺より遅いという事はないだろうが、無理をしなくはないだろうか。

 何もなければいいがな。






 一度、お部屋に……帰り、ました。

 今日は、少し……、帰るのが、遅く、なります……から。
 だから、ご主人様の、お食事を、……作り置き、して、おかないと……。

 ご主人様、は……、無理は、するな……と、言って、ました……けど。
 これが、わたしの、お役目……です、し。

 ご主人様に、ご飯を、ちゃんと……。
 食べて、欲しい、です……し……。
 
 ご主人様、の、方に、こそ……、無理して、ほしく、ありません……し……。


 だから、わたしが……。

 わたしが、がんばらないと……。





 自分の、頭に、手を乗せて……みます。
 撫でてもらった、事を、……思い出して。

 少し、考えて……。

 ……首を振って……。



 やっぱり、違い、ます……。
 でも、今は、……。


 もっと、がんばる、こと……だけ……。



 だから
 こんな
 もやもや、してて、も……。



 わたし、を……。

 どう、思って、も……。




 







 バイトが終わって帰宅したが、おおかみは帰っていなかった。
 すでに十時を過ぎている。遅いと聞いていたが、遅すぎる

 一度帰っては来ていたのだろう、食事の準備だけはされていた。
 もちろん、冷めている。

 時間は聞いていなかったが、まさかここまで遅いとはな。
 何もないはず、そう思うところだ。

 だが、どうしたものか……。

 
 おおかみは、あれでなかなか機敏な動きが得きる。おいそれと災難に巻き込まれる事はないだろう。
 だが、気が小さいところが難点だ。
 甘言に惑わされてかどわかされては、抵抗もしようがない。

 あいつにとって恐ろしいのは、災難ではなく、人災だ。


 過保護が過ぎるとは思う。
 だが、俺自身も『役』を立てたのだから、成さねばならない。
 そのはずだ。
 そう、俺自身に言い聞かせている。


 なら、と。


 玄関へ向かった。
 探しに、迎えにいく。

 俺に出来る役など、たかが知れているが。
 今それが出来るなら、そうしよう。

 ノブに手をかけ、玄関を出た。




 瞬間だった。




「きゃ!」


 おおかみがいた。

 驚いた目で俺を見ている。
 まあ、当然だろう。いきなり扉が開いたのだからな。

「ご主人、様?」

 疑問系の呼び名に、俺は答えられなかった。
 杞憂もいいところだ。
 過保護もいいところだ。

 道化も、いいところだ。


 なにも、心配する必要はなかった。

 ただ、それだけのことだ。


「なんでもない」

 問われる前に、言い訳のように口からこぼれた。
 おおかみは首をかしげる。

「人の気配を感じた。それだけだ」

 見繕う、くだらない嘘だ。
 俺も、くだらない事を言うようになったものだ。

 馬鹿な話だ。


「そうなん、です、か……」


 驚いてか、少し赤ら顔のおおかみが呟いた。
 本気で信じているようだ。
 俺にも多少、鋭敏な感覚があるが、今それがあったわけではない。

「遅かったな」

 話題をさっと変える。
 この場をとにかく、無難にまとめたい。
 取り繕えば取り繕うほど、自分の矮小さに嫌気が指してくる。

「あ、その……。すみま、せん……」

「謝る必要ない。遅くなる事は聞いていたからな」

 自然に、矛盾した会話をしている。
 遅くなる事を知っていて、『遅かったな』はない。

「はい、あの、わたし……」

 少し俯いたおおかみが、まごまごと何かを言いよどむ。

「なにかあったか?」

「その、ですね……」

 なにが引っかかるのか分からないが、言いたい事は確かにあるようだ。

「とりあえず、部屋に入れ。話はそれからだ」

「はい」

 






「神楽、か」

 おおかみは、わりと本格的な巫女修行を行う事になりそうなのだと言った。
 より込み入った仕事とは、聞いていたが。

「それで、稽古をしていたのか」

「はい……」

 おおかみは顔を赤くして俯いた。

「なにが億劫なのかは知らぬが、それは恥じることではないだろう」

 むしろ、褒めるところ、か。
 おおかみが新しい事に挑戦しているのだからな。

 それに神楽。
 神前にささげる舞とは聞くが。

 おおかみが舞えば、さぞかし映えることだろう。


「それで、なんです、けど……」

 いつもどおりの途切れ途切れの口調から、さらにわけありそうな言葉を紡いだ。
 このやり取りも、この数分で何度目だ?

「いったいなんだ?」

 少し語気が荒くなったか。
 配慮するべきだとは思っているのだがな。

 しかし、おおかみは気にする風でもなく、口を開いた。






「その…………………………………………見て、もらえませんか?」

 


 何を、と、問えなかった。


「神楽、を、です……」

 硬直半ばの俺におおかみは疑問の答えを口にした。

「あ、ああ。かまわんが」

 つい拙い返事をしてしまう。
 見る分には問題ないので構わないが、決まりが悪い。

「ここでか?」

「少し、です、から……」

 おおかみは部屋の真ん中に立った。

 部屋は閑散としているから、狭いなりに場所が取れている。
 踊るのに必要な分があるとは思えないがな。

「よろしい、です、か?」

 おおかみはの挙動はどこか、心が先じているようにに見える。
 それを察する事は出来ないが。

 それとも、早く見てもらいたいが故か……。


「やってみろ」


 言い方はぞんざい。
 だが、俺のほうも。

 もう、早く見たいと思ってしまっていた。

 腰を下ろした俺は、黙って舞を見届ける事にする。



 
 部屋の真ん中に。

 舞台の中心に、おおかみが凛と立つ。

 

 『しん』と空気が張った。
朱袴が『すす』と動き出す。

 白い衣を静かに振るい、瞳を秘めて天を仰ぐ。

 『しゃん』、と、
 鈴鳴るように細かに震え、

『ふう』、と、
 風薙ぐような迅さで舞う。


 舞い上がるように『たん』と僅かに足踏み。
 舞い降りるように『そそ』と
 

 そして、止まった。




「……」

 眼を開けたおおかみが、俺に尋ねた。

「どう、でした……?」


 …………終わったのか。

 あっという間だった。
 とても短い舞だ。

 いや、今は、まだこれだけなのだろう。

「うまく、答えられん」

 感想を述べるには、短い。
 しかし、分かる事は端的に一つだった。

「ただ、綺麗だった」

 滑り落ちるように口から漏れた。
 そして、それ以外に言いようがなかった。

 魅入った、といっても良かっただろう。
 感想など、それで足りる。


 俺の感想を聞いたおおかみは、ばっと顔を伏せた。


「あ、ありがとう……ございます」

「いや、見事だった」

 俺は立ち上がり、そばによって頭を撫でた。

 おおかみは無言で頷き、気持ち良さそうに目を細めた。
 




「がんばったな」









 



 ……あれ?

 わたし、今、褒めて……もらい、ました。
 その、はず、です……。

 そのはず、です、けど……。




「どうした?」

「あ、いえ……なんでも、ない、です……」

 急に、尋ねて来た、ので、……咄嗟の、弁解を、しまし、た。
 顔に、出てたの、かも……、しれま、せん……。

 些細な、こと、だと……、思い、ます……。



 
 褒めて、もらった、けど……。

 少し、だけ……。
 勘違い、かも、……しれない、です、けど……。



 『距離』を、……感じました。













 まるで、親か兄妹のようだと思うところだ。
 だが、それでいいはずだ。


 俺はおおかみの役に立たねばならない。

 だから、か。


 そういう関係のほうが丁度いい。
 そのはずだ。



一言感想もらえるとうれしく思います。

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