七夕記念SS☆天の川




『ふぅ…』
男は溜め息をつきながら部屋を出る。

『ようやく眠ったの?』

隣りの部屋にいた女が、入ってきた男を見て言う。
男は後ろ手にそっとふすまを閉めながら短く
『あぁ』
と、答えた。

『ご苦労様。一杯どう?』

女が机の上に置いてあるグラスにお酒を注ぐ。

『ありがとう』

男は真向かいに座ると差し出されたグラスを手にとり

『こんなことなら、天の川の話なんかするんじゃなかったよ』

一口、飲む。

『ふふっ。あの子のはしゃぎようったら凄かったものね』

女は窓の外を見る。
そこには不格好な照る照る坊主が、所狭しと並んでいた。
男と女の、まだ幼い娘が作ったものだ。

『晴れじゃないと天の川の先は見れないぞ、って言ったら、頑張ってたからなぁ』

男はまた一口、お酒を口に運ぶ。

今日の天気は、娘の努力が実ってか晴れだった。

だが、

『昔と違って、最近は綺麗に見えないのよね。どうしてかしら』

天の川を見ても、昔の景色はもうなかった。

霞がかった先に、ほのかな光が瞬いているだけ。

『俺の話と違ったから、ずいぶんがっかりしてたもんな』

幼い子供の想像力はたくましい。
きっと娘も、それは素晴らしい天の川を想像したに違いなかった。

『見せてやりたいなぁ、昔の、あの綺麗だった頃の天の川』

男が赤みがかった顔で言う。
その目はどこか遠くを見ていた。

『そうね。天の川は、私たちの思い出そのものだものね』

女は優しい笑みを浮かべながらうなずいた。

二人の思い出の天の川を見せても、幼い娘の想像力には負けているかもしれない。
あの頃の綺麗だった天の川を見せても、娘はやはりがっかりするかもしれない。
もしそうだとしても、二人は、二人が好きだった天の川を、娘に見せてあげたかった。





『そろそろ寝ましょう』
『そうだな』

互いのグラスが空になった頃、二人はそう言って立ち上がり、外に出た。
寝る前に天の川を見るためだ。

辺りは暗い。
が、ぽつぽつと光がある。
それは明るさこそ違うものの、全て丸い光だ。

二人は天の川の近くまで来て、その中を覗く。
そこには、はっきりとは見えないまでも、大小様々な形をした光が瞬いていた。

四角で囲われた光。
何かの文字を表す光。
刻一刻と姿を変える光。

良く晴れた七夕の日にだけ、天の川を通して見えるその地上の光は、そこでしか見られない華やかなネオンの姿。

だがしかし、その光は二人の思い出の天の川ではなかった。

『きっと、昔に戻ることはないんだろうな』

男が残念そうに呟く。

『そうね。あの子に綺麗な天の川を見せてあげたかったけど…』

それはもう、おそらくは叶わぬ夢か。
あの頃の自然に囲まれ、命のみなぎっていた力強い景色は、二度と姿を表すことはないのかもしれない。



二人はしばらく押し黙り、やがて、どちらからともなく帰っていった。





俺さ、来年の七夕には、短冊の話をしようと思う

そうね、その方が、この子をがっかりさせなくてすむかもね

どんな願いごとを書くんだろうな

きっと予想もつかないことよ

笹の葉を探してこなきゃな

あなたは何て書くの

俺は―――





男の名は『彦星』

女の名は『織姫』



二人は今、天の川とともに、幸せに暮らしている。



終わり







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