熊SS 第一夕



『熊SS 第一夕』




「困った」
空を見上げれば、今にも暗くなりそうな白い青。
体に触れる外気は、まるでその場所の輪郭を忘れるように冷たい。
ここが街の真ん中だなんて誰が信じるだろう?
コンクリートやプラスチックなんて一かけらも無い、この自然を…。

「さけさま!白い粉が降ってきた!」
「雪ですな。今年は早い。」
白い粉が、くまの体に降りる。
そこはほんのり冷たくて、なんだかかゆくなっちゃう。
「さけさま!びちびちってして!」
くまの手は短いから、さけさまにびちびちってしてもらうほうが手っ取り早い!
「またですか?」
「ま〜た〜な〜の!びちびち!びちびち!」
背中を揺らして催促する。
その間に白い粉はくまの体に降りてきて、いろんなところをむずむずさせる。
「びちびち!びちびち!」
「わかりましたよ。いきますよ?」
「わ〜い!」

びちびち びちびち 

「わはは、わはは!」
さけさまのびちびちは好き。
なんだかよくわからないけど楽しい!
上を見たら、白い転々に黒い青。
まるで世界が変わったみたい。

びちびち びちびち 

「わはは、わはは!」
あ〜、楽しいっ!



「困った…」
不覚にもさっきと同じ台詞をはいてしまった。
さすがに疲れがピークか。
日も暮れてきたし、雪まで降ってきやがった。
本来なら、そろそろ下山した方がいいんだが…
「帰り道はどこじゃ〜!」
せめて元気を出そうと、精一杯叫んでみる。
そう、認めたくないが俺は…、迷子なのだ。
「なんでだ〜?子供の頃は迷わなかったんだけどなぁ…」
この山は子供の頃に何度も遊びに来た。
なのに、何故俺は三十二歳になってまで、かつての故郷の山で迷わなければならないのか?
しかも冬山!しかも雪山!合わせてふゆきやま!!
「いかん!このままでは新聞の三面の隅っこを地味に飾ってしまう!」
周りに誰もいないからこそ言える心の声。
こんな時は、一人がいいなって思ってしまう。
「いや、そんなことを思っている場合じゃない!」
と自分で自分に突っ込みをしたとき、

ぞくっ

背筋に寒気がはしった。
山の気温のせいじゃない…。
もっと強烈で、もっと尾を引く、
「出やがったな…!」
目線の先に、一つの影。
「ここは神聖な山」
その一影から音。
霊的なものにあったときの、心が感じる寒気。
「俺は、子供の頃、ここで遊んでたぜ」
全身に鳥肌をたてながら、音をしぼりだす。
「帰れ、人間」
一影は動かない。
それがまた余計に、怖い。
「…っ!」
寒くて口が動かないのか?
それとも寒気で口が動かないのか?
「帰らねば」
ただ俺の目は、一影を見据えるだけ。
「汝に」
気が付けば、寒さは体を凍らせ、寒気は身体を凍らせていた。
「災いがふりかかる」
勝手なこと言いやがる…!
俺は子供の頃、この山で好き勝手してた…!
子供の頃の大切な思い出の山!
お前は、後から来た奴だろ!
後から来て、思い出の山を、取るんじゃねぇよ!
それに、だいたい俺は、
「迷子なんだよぉっ!!」
…。
…いない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
一影はいつのまにかいなくなっていた。
心音がやけに高く聞こえる。
何から考えていいかわからない頭が最初にまとめた事は。
今夜は野宿で、俺には災いが降りかかるっていう、最悪な事実だけ…。
「まったく…、本当に」
気が抜けて、疲労が襲ってきて、ぶっ倒れる直前に、俺は
「困った」
本日三度目の台詞を口にしていた。
ゆき…。薄れる意識の中、それを想いながら…。

夏の山は緑と赤。
緑が自然。赤が夏のイメージ。
街と違ううるささが好きで、よく、この山に来ていた。
子供の俺は、カブトムシやクワガタといった昆虫を捕まえるのが苦手だった。
木の幹を見ても、俺にはカブトムシの姿がよく見えないのだ。
それが見えるようになったのはずっと後。
その頃の思い出を忘れかけていたそんなときだった。
タネは簡単だった。
『よく観る』だけ。
子供の頃の俺は木の全体像や幹を漠然と見てただけ。
目を凝らしてよく観れば、きっと子供の頃の俺でも見えていたのだ。
だがまぁ、あの頃の俺には見えなかった。
だからもちろん、相棒みたいな相手がいたわけで。
「いくよ〜!」
かけ声とともに、一つの木が揺れる。
相棒が、木を思いっきりけったのだ。
相棒はすごく力が強くて、とても俺はかなわなかった。
昆虫を見つけられないことも不満なら、それも不満だった。
なにしろ、俺の相棒は、女の子だったからだ。
「うっわ〜、いっぱい落ちてきたよ!」
突然の小さな地震に驚いた昆虫達が、地面に落ちる。
それを拾うのが、俺の役目だった。
「一番おっきいのは○○のだからね!」
「わかってるよぉ」
あれ?相棒の名前って、何だったっけ?
「ほら、そこにもいる!つ〜かま〜えた!」
そういえば、相棒がどんな女の子だったかも忘れた。
大きかったのか、小さかったのか?
やせていたのか、太っていたのか?
髪が長かったのか、短かったのか?
「あぁ〜、あんまり取らないでよ〜!」
たった一夏の間だけ、山で一緒に遊んだ相棒。
夏の山は、緑と赤。
緑が自然。赤が夏のイメージ…。
あれ?なんで、夏のイメージが赤なんだ?
…まぁいっか。子供の思い出だし。
でも楽しかった。子供の思い出。




「ん…?」
なんだろう…。
すごく、眠い…。
あぁ、そうか。
俺は今まで、寝てたのか。
「まったく、冬山で寝るなんて。死にたいのか俺は」
独り言を言いながら、ぼんやりと辺りを見回す。
…?
………!?
今だ眠気から完全に回復しない頭で、俺は何かすごいものを見た気がする…。
俺の前にいるのは………、熊!?
「………!!」
叫びを飲み込むと同時に、脳がフル回転を始める。
『あの山には幽霊がでてのぅ』『人間』『思い出の山だからな』
『もう封鎖されとるよ』『危ないわよ』『帰れ』『行かん方がええ』
『熊騒動の後は』『汝に』『さけさま』『幽霊とはのう』『真っ白』
『災いがふりかかる』『迷子なんだよ』『思い出の山』『くま』
『災い』『くま』『災いが』『熊』『災いがふりかかる』
『目の前に熊』『災い』『目の前に熊がいる』!!!!!
『し、死んだふり〜!!』
バタン…。
俺は目を閉じ、再び眠りに着こうとする。
いや、この場合、永遠の眠りになりそうで怖いのだが…。
心臓が早鐘を打つ。かつてないほどに。
ゆき…。俺は死ぬのか?
駄目だ!まだ死にたくない!
俺はまだあいつを、し

ぬるっ

「!!」
頬に暖かい感触。
目を閉じていてもすぐにわかる。
これは…、舌だ。
熊はどうやら俺の頬を舐めているらしい。
味見かよっ!
「さけさま、なかなか起きないねぇ」
誰かの話し声?
ちょっと待て!?
こんな不幸な境遇に陥ってる奴が、もう一人いるのか!?
この熊、どうやらかなりのハンターらしいな…。
「さけさま〜、この人起こしてよ!」
そんな声と同時に、体が揺すられる。
なんだ、これ?
これじゃぁまるで、この声の主が、俺を揺すってるみたいに聞こえるんだが…?
俺を揺すってるのって…、熊…!?
「鼻でも噛んでみたらどうですか」
「だめだよ〜!くまは友達になりたいのに!」
熊だな。自分の事くまって言ってるし。
「やめなさい、人間の友達など。私がいるではないですか」
しかももう一人誰かいやがる!
待て…!現実的に、熊がしゃべるわけが…。
「新しい友達が欲しいの〜!」
そうか、わかったぞ!
実は俺がさっき見た熊は勘違いで、今俺の近くにはれっきとした人間がいるんだな!
そうだ、そうに違いない!
そうとわかれば、そっと目を開けて
「あっ!」
俺は、すぐ近くの…
「起きたぁ!」
熊と、目を合わせていた…。



おっともっだち!おっともっだち!
「起きたぁ!」
嬉しいなぁ!今日は何年ぶりかに、この山に人間が来てくれた!
さけさまは友達になっちゃ駄目って言うけど、そんなの関係ないも〜ん!
新しいお友達は、背が高くて、ちょっとやせてる。
あ、私のこと見て驚いてる。
なんかおかしいかなぁ、くま。
「きがついたか、人間」
「あ〜、さけさま!先に話しかけちゃだめ〜!くまが先〜!」
くまが先に話すんだ!だって久しぶりの人間!
いつかの人間みたいに、友達になるんだ!
「ねぇねぇ、名前なに?くまはくま!お友達になろ!」



意味が、わからん…!
俺の前には、小熊よりも小さい熊が一匹。
背中には、なぜか鮭をしょってやがる…。
しかもその熊、しゃべってやがる。
それどころか、背中の鮭も言葉を話したような…。
「ねぇねぇ、名前なに?くまはくま!お友達になろ!」
これは…、夢か?
俺は熊に、友達になってくださいと言われている…。
『災いがふりかかる』
そうか、これは夢じゃねぇな。
これは、
災い
か…。
まったく、こいつは、ものすごく、
困った。





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