熊SS 第二夜



『熊SS 第二夜』



冬の山。それは限りなく純白に近くなる。
空から舞い降りた白い粉が、一面を染めるからだ。
おそらく、この洞窟を一歩でも出たら、そんな景色が見えるのだろうな。
「はい、自己紹介終わり〜!」
俺の目の前で、鮭を背負った女の子がキラキラした顔で言う。
つい十分ぐらい前まで熊だった女の子だ。
喋る熊の時点で俺の常識の範囲を超えたのに、さらに人間の姿になれるなんて言って、実際そうなりやがった。
二重の衝撃。ダブルインパクトか…。
なぜか巫女服姿で、耳と尻尾だけ隠せてない中途半端な人間の姿が、よけい現実っぽく感じられる。
見た目、十歳ぐらいの子供。巫女服と耳と尻尾以外は普通の女の子みたいだが、ただ髪の毛だけが、めだった。
ここは日本だ。動物の世界にもDNAとかがあるのなら、彼女は間違いなく外国人なんだろうな。
なんて、あまり意味のないことを考えてみた。
彼女の髪の色は、綺麗な赤だった。
「今度はあなたの番!」
キラキラした瞳で、俺に自己紹介を促す。
相手が名乗った以上、こちらも名乗るのが礼儀か。
たとえ相手が、人間じゃなくても…。
俺は彼女がさっきした自己紹介を思い出しながら答えた。
『くまはくま!くまって呼んで!』
「俺は、冬香 嵐(ふゆか あらし)。まぁ、苗字は女っぽいから下の名前で呼んでくれ」
『えっとね〜!好物は鮭!』
「好きな食べ物は人参。ちなみに嫌いな食べ物は干しぶどうだ。知ってるか?」
「き〜たことある〜!人参は赤くて、干しぶどうは黒っぽいのだよね?」
「うむ、正解!」
え、っと、次は…
『う〜んと…、終わり!わはは!』
「よし、以上だ!」
「え〜、もう終わり〜?」
明らかに不服そうな顔をするくま。
「だって、くまはそれだけだっただろ?」
「ぶ〜、そうだけど…」
むくれるくま。
「それなら、その背負ってるやつの紹介をしてくれよ」
くまの背中には、一匹の鮭がいる。
どうやらそっちも喋るみたいだからな。
このさい聞いときたい。
「あ、そっか!さけさま!自己紹介!」
「…」
「さけさま!さけさまの番だよ?」
さけさまと呼ばれているその鮭は、くまの呼びかけにも対して一言も話さなかった。
「さけさまって言うんだな、その鮭」
「う、うん!そうなの。どうしたの〜さけさま?」
くまが心配そうにさけさまを見る。
くまは予想もつかないようだが、俺にはなんとなくわかる。
さけさまはきっと、俺のことが嫌いなんだな。
狸寝入りしてたときに、人間の友達なんてやめろって言ってたからな。
「…ん!」
不意に、急に冷静になった。
いつのまにか、熊をくまと言い、鮭をさけさまと言っている自分。
頭の中が混乱してるから全てを受け入れるのか、それとも見たことを現実として認識するように俺の頭が出来ているのか…。
まいった…!
ちょっと頭を整理したい。
「さけさま?」
くまはどんどん心配そうな顔になっていく。
ここは一度、退出するか。
外の景色、恐らくそうなっているであろう一面の白色世界を見れば、頭の中まで真っ白になって、きっと綺麗に整理できるだろう。
「ちょっと席を外すよ」
「え?」
くまさまが驚いた顔で俺を見る。
意味がよくわからなかったのか?
そういえば、くまさまは子供だったっけ。
「ちょっと外の風にあたってくるよ」
そう言って、俺は立ち上がった。
「ねぇ…」
とたん、くまさまの表情が曇る。
さけさまを気にしていたときとは違う、元気ってものが顔からなくなった感じに。
「友達…、だよ」
声の調子もまるで違う。
思ったことを素直に言うさっきまでの感じはなくて、自分の言葉を果たして相手に伝えていいのかどうか悩んでいるような感じ。
俺はどうしていいかわからず立ったまま、くまと目線を合わせていた。
「帰ってくるんだろうな」
沈黙を破ったのは、さっきまで沈黙を守っていたさけさまだった。
「え…」
あまりに突然の発言に俺が驚いていると、さけさまはもう一度繰り返した。
「外に行っても、しばらくしたら帰ってくるんだろうな」
「あ、あぁ。もちろん」
そりゃぁ、いつかは帰るが、今じゃぁない。
「ほんと!?」
くまが、期待してるような、不安を感じてるような目で、俺を見る。
「当たり前だろ。まだ自己紹介したばかりだしな、ちょっと涼んだら帰ってくるよ」
俺のその言葉を聞いたくまは、元の元気のいい口調に戻った。
「良かった〜!まだ何にも話してないもんね〜!行ってらっしゃいっ!」
とりあえず、元気になったみたいだから、涼んでくるか。
この洞窟、どうなってんだかすごく暖かいからな。
頭を覚まして、よく考えるか。
俺の今の状況を。



「良かった。あらし、帰ってくるって」
あらしの後姿を見ながら、ほっとした。
また急に、いなくなるんじゃないかなって思ったから。
「ちゃんと自己紹介もしてくれたし、いいお友達になれそう!」
「人間の友達などやめなさい」
むっ。さっきまで黙ってたくせに。
「ど〜してそんなこと言うの?友達が出来るっていいことじゃない!」
「人間は、駄目です」
そればっかり。さけさま、今日は変。
くまがあらしを見つけた時だって、置いていけ、とか言ったし。
あのまま置いていったら、あらし死んじゃってたよ、きっと。
「い〜もん!さけさまになんて言われたって!くまは、あらしと友達になるもん!」
さけさまのこと嫌いじゃないけど、知らない人と話してみたい。
いつもと同じの毎日じゃなくて、なんだかわくわくするような毎日をしてみたい!
「駄目です!」
なのにさけさま、今日はなんだかしつこい。
「私は、あなたの両親に、あなたのことを任されているのですよ」
おとうさんと、おかあさん…。
あ…。
なんだか、嫌だ。
元気が、出て行く。くまの体から。
おとうさん、おかあさん。
どうして、帰ってこないんだろう…。
「さけさまぁ…。どうして、おとうさんとおかあさんは、帰ってこないの?」
さけさまなら知ってるはず。
なのに、
「それは…、わかりません」
いつもそう。
最後におとうさんとおかあさんに会ったのは、さけさまなのに。
くまには、教えてくれないんだ。
さけさまは、いつもくまと一緒にいるけど、最後はおとうさんとおかあさんの味方。
いいもん!
「くまはあらしと友達になるからね!絶対だからね!」
くまは、あらしを味方にするもん!
最後まで、くまの味方をしてもらうもん!
あらしに会いに行こう!
今すぐに!
それで、友達になってもらうんだ!
ワクワクする!
きっと、いろんな楽しいことが、待ってる!



「寒い…」
外はまさしく白一色。
空の色が白ならば、自分以外何も見えなくなってしまうだろう。
吐く息も白い。
だが、冷たい空気は、脳を冴えさせてくれる。
暑くてぼんやりしていた頭が、徐々にすっきりしてくる。
「くまに、さけさまか…」
洞窟の中にいる二匹のことを思い返す。
やはり、現実とは思えない。
だが、俺は確かに見て、言葉を交わした。
「はぁっ」
一息つく。
ここが山じゃなくて街なら、きっと信じない。
喋る熊と鮭なんて、人になる熊なんて、きっと信じない。
「まったく」
でも、ここは街じゃない。
静かで、澄んでて、白い。
ここがすでに、日常じゃない。
だから、信じる。
「困ったもんだ」
くまにさけさま。
世の中には不思議なことがたくさんだ。
ゆき…。お前は今、心配してくれてるか?



「す〜す〜」
規則正しい寝息が聞こえる。
どうやらくまは寝たらしい。
外から戻った俺は、しばらくくまと話しをして、寝るために横になった。
くまはさすが子供というだけあって、寝入るのが早い。
だが、それは俺にとって好都合だ。
俺はゆっくりと起き上がった。
「帰るのか?」
さけさまが話しかけてきた。
「俺がくまと話してるときは無口だったのに、変な奴だな」
まぁ、それを待ってたんだけどね。
「帰るなよ」
「なんでだ?あんたは、俺がくまの近くにいるのは嫌なんだろ?」
「嫌だが、この子が悲しむからな」
さけさまは、悔しそうに言った。
「帰るなら、せめてさよならを言ってからにしろ」
「帰らないさ。さけさまと話しやすいように起きただけだ。ま、そっちは話しにくそうだけどな」
さけさまはずっとくまの背中にくくりつけられたまま。
くまが仰向けじゃないからまだましだが、寝心地がよさそうには見えない。
「聞きたいことがいくつかあるんだ」
好奇心と、知っておきたい事と、確認と。
「こんな機会じゃなきゃ、あんたと話せそうにないから、くまが早く寝て助かった」
「私が答えるとは言ってない」
「そう言わずに答えてくれよ」
さけさまの返事を待たずに、俺は言葉を続けた。
「この山に何年か前から出る幽霊って、あんたのことだろ?」
俺が久しぶりに故郷に帰ってきたとき、思い出のこの山は幽霊が出る山になっていた。
俺はそれが嫌で、幽霊に会いに山を登ったんだ。
「何故そう思う?」
「俺が会った幽霊と、あんたの声が一緒だからな」
最初は気が付かなかったけど、何回か聞いてるうちに思い当たった。
「意外と勘が鋭いのだな」
さけさまはあっさり認めてくれた。
助かる。
これなら他の質問にも答えてもらえそうだ。
「で、災いってのはこれのことか?」
人間とも動物とも言えないくまの友達になること。
人によってはそれは災いとも言えるだろう。
「あんなものは、口からでまかせだ」
これもあっさりと、さけさまは教えてくれた。
「あぁ言って怖がらせておけば、人間は近付かんだろ?」
やっぱり、目的はそれか。
ということは、俺に災いが降りかかる事はないらしい。
とりあえず一安心だ。
「人間は嫌いなのか?」
「お前は特別なのだろ?」
驚いた。
質問を質問で返されるなんて。
「俺は霊感が少し強いからね。少しは驚いたけど、納得はできる」
「人間のほとんどは、この子も私も化け物扱いするだろう」
まず間違いない。
「そして、退治しに来るのさ。例え害はなくてもな」
その言葉の言い方が、今までの会話とは違った。
感情のこもった言葉。
それで、やはり俺の予想は正しかったのだと自信が持てた。
「彼女の両親は、殺されたんだな」
「!」
そこで初めて、さけさまの表情が変わったような気がした。
この山のことを話してくれたおじさんは、こう言っていた。
『熊騒動のあとは、幽霊とはのう』
街の真ん中にある山で熊が見つかったら、人間がやる事は一つしかない。
「本当の両親ではないようだったが、それでも」
さけさまはそこで一度言葉を切ってから、
「立派な両親だった」
そう、つなげた。
それで、全部分かった。
熊狩りで生き残ったくまを殺されないように、さけさまは幽霊になり山に誰も近付かないようにした。
「私はこの子のことを、両親に頼まれたからな」
「俺にそこまで話していいのか?」
「友達なのだろ?ならば、知っていてもらったほうがよかろう」
「認めてくれるのか?」
俺のことは嫌いだと思っていたけど、
「認めるも何も、この子は気に入っている」
なんか、まんざらでもない気分。
「親のいない寂しさが紛れるなら、人間の友達も悪くはなかろう」
親のいない子。友達か…。
ゆき…。
「一人も二人も、同じか…」
「ん?」
仕方ない。
「困ったことだが」
俺がやる気なら仕方ない。
「なんだ?」
「さけさま、残念だが、俺はくまの友達にはならない」
問題は、
「なんだと!お前、今の話を聞いてそんなことを言うか!」
ゆきが、
「まぁまてって、よく聞け。俺はくまの友達じゃなく」
なんて言うか、かな。



おとうさん、おかあさん!くまもさけとる〜!
くまにとれるかな〜?
とれるもん!
けがしちゃだめよ。あさいところでとりなさい。
は〜い!…えい、えい!
はははっ、くまにはまだはやいかなぁ!
と〜れ〜る〜も〜ん!…えい、えい!
ほら、もうすこし!
ん〜、えい! あ、やった!とれた!わはは!
おぉ!すごいすごい!
ほんと、これならすぐにひとりだちできそうね。
くま、独り立ちなんかしないよ!
ねぇ、おとうさん、おかあさん!行かないで!
くまを置いていかないで!まだ、うまく鮭とれないから!
「ぉとぅさん、おかぁさん」
消えていくよぅ。おとうさん、おかあさん。
行かないで。置いていかないで!
「おはよう、くま!」
「え、…あ!」
夢、だった。
そうだよね。おとうさんとおかあさんは、いないんだっけ。
あ、ここ…、あらしの、腕の中?
「うなされてたぞ?悪い夢でも見たか?」
なんか、ここ、暖かい。
「う〜ん、半分いい夢で、半分悪い夢」
友達、あらし。えへへ!
「そっか、半分ずつか」
「うん、半分ずつ!」
「こんどは全部いい夢だといいな」
さけさま、普通に話してる。あらしがいるのに。良かった!
「あらし」
「ん?」
「友達」
あらしは、くまの、友達。
「ん〜」
あれ?あらし、なんでうんって言わないの?
なんで…、考え込んでるの?
やだ、よぅ…。
置いてかないで…、どこかに行かないで…。
くまを置いて、いかないで…。
「くま、俺はね、くまの友達にはならない」
「ぁ…、ぅぅ…、や、だ、よぅ」
景色が歪むよぅ。
心がぎゅ―ってなって、何だか苦しいの。
「あ、ら…、しぃ」
「泣くなくま。俺は友達じゃなくて」
「ども…、だっ、ち…じゃなぐ、て?」
「くまのおとうさんになることにしたんだ!」
「…!?」
?、お、と、う、さ、ん、?
「お、どぅざ、ん?」
何を言ってるの?
おとうさん?って、おとうさんなの?
「おとうさんじゃ、だめかな?」
くまの、おとうさんに、なってくれるの?
でも、おとうさんは…、
「だ、め」
「え?」
「おとうざん、は…、いつか、帰ってくるから」
「くま…」
だから、
「だが、ら、かわりの…おどぅ、さん」
それまで、おとうさんがかえってくるまで
「かわりの…、お、とう、さん…!」
顔中、涙まみれ。
「わかった!」
でも不思議、ぜんぜん、苦しくない。
「俺は、かわりの、おとうさん!」
どこまでも飛んで行きそうなぐらい、ふわふわしてる。
「よろしく!くま!」
「よかったな、くま」
さけさまも、嫌って言わない。
嬉しい…!
涙が出るぐらい、嬉しい。
「じゃぁ、あれをやるか」

びちびち びちびち

「わはは、わはは!」
涙が止まらないぐらい、嬉しい。

びちびち びちびち

「わはは、わはは!」
涙が止まって欲しくないぐらい、嬉しい!!
かわりだけど、新しいおとうさん!
くまです!よろしくおねがいします!





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