秒速5センチメートル


秒速5センチメート、すばらしい作品でした。
絵コンテも映像も効果音も秀逸というに相応しい。
ですが、今回はアニメの作画がどうとか音楽がいいとかそういう話ではありません。

この新海誠氏の「秒速5センチメートル」は小説を書き始めたばかりの私が
『いつしか描きたいと思っていた世界観』を思い出せてくれた作品となりました。

私はキャラクター主体のストーリーを作りたい人ではなく、世界の中の歯車的な人物を描きたいと思っておりました。
いつしかそういうことも忘れてしまい、日々無駄に時間を消費しているわけですが・・・。

絶対的な世界・・・この現実で私が誰かを殺そうが、逆に私が殺されようが世界、または未来というそれにどれくらいの影響があるのだろう。
国会を爆破したとして、日本という国には大打撃かもしれないが、今私の周りに住んでいる人々にとってはさほど変わらない日常がシュールだが訪れる。
また若干の大きさの違いはあろうが、この世界はさほど私にとっては変わらない。

飢えに苦しもうが、日本が滅亡しそうになっても、または戦争が起きても、たぶんどこか遠くからもう一人の私が覚めた目で見つめているのだろう。

もちろん苦しいや悲しいが付きまとい涙を流すと思う。
だが、なぜか世界は変わっていないような気がする。

人の限界とかそういう話ではなく、感覚の話なのかもしれない。
私にとって世界とは、またはそれの軸であるキャラクターは
『その世界の一人でしかなく、また皆が主人公というべきストーリーを秘めていなくてはいけない』と常々思っていた。

殴り書きだがこのままで。
私がいつまでもこの事を忘れないように、と。




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