無題


もし、大好きな人が道を誤った際に、キミはそれを正してあげることができるだろうか。

「そんなのは当たり前」「当然だろう」そんな考えがよぎる人は、理解している人だ。

次に、有名な芸能人が芸能界で生きるに必要なものを述べたとする。
「なるほど」「そうなんだ」と受け入れる人が多いであろう。

そして最後。
自分の尊敬している人が間違いを犯したとする。
どうだろう?キミは間違いを正してやることができるだろうか。

間違いといってもさまざまで、はっきりと悪とわかる「殺人」から、曖昧である「嘘」であったりする。

特殊な例であれば「その人だけはやってはいけないこと」がある。
平和を謳いながら、人を殺すような人に、続けて平和の使者を続けてもらうことができようか。

では次の場合はどうだろう。平和の使者は殺されそうになったので正当防衛の結果、殺してしまうことになってしまった、では。

難しいようであるならば、難易度を下げよう。

プロのピアニストが発表会を明日に控えているそんな時に、指を痛めてしまうようなボール遊びをしてしまった、ではどうだろう。

言い訳をいくつか書いてみる。
・気分転換したかった。突き指することは想定外である。
・プロだからそれほど支障はないと思っている。仮に突き指をして指を痛めても支障はない。
・みんなもやっている、これは普通だ。私だけが悪いのではない。

どんな理由にせよ、プロとしての意識の低さは問題である。
しかし、「○○だからしょうがない」や「○○さんが言うことは全部正しい」。

もっというと、

「プロが言っていることだから間違いなんてない」

なんて、盲目もいいところである。


キミは間違いを正してあげられるだろうか。
またはキミ自身が間違いに気づいていただろうか。
私はそんな他人の答えばかり転用する人の多さにほとほと呆れ、疲れ果てた。

まさにこの世は糞地獄だ。



真意を確かめる術があるにも関わらず、それが正しいんだと強気、もしくは大人数で言われると、人というものは自分が間違っているのかもしれないと、勘違いだったのかもと塗りつぶされてゆく。

訓練されていない兵士は長時間戦う体力があるわけもなく、途中でへばるのと同じで、訓練されていない民は大衆に流される。

否。今まで生きてきた数十年。今日までの私はただ生きてきただけであったか?
自分で考えず、嫌なことを嫌と言わず、我慢することを覚え、楽をするためにずる賢くなり、嫌なことがあると忘れようと現実はなにも変わらないにも関わらず、問題をそのままに卓上に乱雑に投げ捨てる日々であったか?

進化ではなく退化である。
しかし羽化はする。
今までの蓄積された年月は無駄ではないのだ。
しかし、そのほとんどは羽が乾く前に心無い人間によって無造作に触られ、掴まれ、揉まれ、ひしゃげる。

聖人はやがて魔女としての烙印を押され、いずれ消える。弾圧されるのだ。


最後に。


学校にて問題が出されたとする。
「自分の名前がわかる人、手をあげて」と。
しかし、誰も手を挙げない。

自分は答えがわかる。だが、挙げない。なぜか?
恥ずかしいからか?それとも自分が答えを出しても、この場は大きく動かないと高をくくり、傍観を決めているのか?

人はもっと、利口なバカになるべきである。




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