戯言2


影は影だからこそ影であり、決して光にはなれない。

裏は裏であり場合によっては表でもあるが、それは裏でありつつも表であるという状況だけだ。
例外は、印象によっての勘違いであろう。

隠れた名作は隠れ目立たないからこそ隠れた名作たりえる。
だが、隠れた名作とは売り上げを指すのか、または数多くの人の心に残った伝えによって広まり陰としてのイメージが固まるかは知りえない。

お久しぶりだ。今回はパンチラについて少し書こうと思う。
パンチラとは、合意的なものでは満足しえないものであり、それは瞬間という連続した時間を、人が人という殻を破り超越している時間でもある。
一応書いておくが、パンチラは合意があれば、それはほとんどの場合、パンモロへと移行してしまう恐れがある。
パンチラとパンモロは違う。ホルモンの分質量や感動の質の違いなどの度合いが研究員によって日々研究・数値化されているが、
今のところ、よいものはよいというアバウトな答えで落ち着いている、なんとも不安定な研究結果ではあるが・・・。

しかし。これらで導き出される一つの答えがえむおーいーであると私は考える。

演出された偶然は偶然ではなく必然。ラーメン屋に行って寿司がメインで出されているかのような違和感がある。
だが、私たちは食べたいものが出れば反応してしまう悲しい生き物なのだ。
違和感や謎・不思議なんて一時の間忘れてしまうようにプログラムされているに違いない。
そこで思うわけだ。神風とはまさに、人の想いが具現化した怨念ともいえる一つの目に見えない力なのかもしれないなと。




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